□ ジョン・ラスキン 平成14年5月9日
今の時代、「スピード」と「変化」。その対極にジョン・ラスキン(イギリス、1819年−1900年)の考え方があるのを忘れてはならない。「歴史を消し去る歴史の上には、流れ去る記憶しか残らない」(日本の近代、都市へ、鈴木博之著、中央公論出版)。日本の都市は西欧の文明の波をうけ、明治以降建築は建ちつづけ、変貌を遂げ、時とともにデザインは変化してきた。記憶の集積であるはずの文脈としての『文化』は身近な街づくりをはじめ、殆どの都市で正しく検証されかたちづくられてきたろうか。 連休明けに新しい首相官邸の機能が本格的に始まった。旧官邸は2.26事件を始め、数々の日本の政治の歴史の舞台となり、国民の記憶に焼き付き、背景として十分にその機能を果たしつづけて来た。新官邸、真新しい木の直径5.2mもある大きな丸テーブルでの初閣議の模様がテレビ報道された。壁や建具にもナラ、ブナなどの木材が多用され、「木の感じがいい」「明るくてモダンだ」各大臣の談話が発表された。折衷様式の重厚な旧官邸と異なり、外装は水平ラインを強調した明るく光りの射し込む近代的な建築であり、屋上にはヘリポートを始め、有事の際、最新設備を整えたハイテク官邸。 「われわれは建物をつくる。すると建物がわれわれをつくる」イギリスのチャーチル首相の投げかけた言葉は重い。戦後、戦災を受けたイギリスの国会議事堂を改修する時に、元通りの姿に戻すべきだと主張して、議事堂を近代的に改修する案を退けた。議事堂の姿を変えることによって議会精神までもが変えられてしまうことへの危惧の表明である。 ジョン・ラスキンの考えが注目されている。主な著書「建築の七灯」(岩波文庫)、ラスキン34歳の時の道徳、倫理的視点からの建築論。ものをつくり上げることの原点、それまでの中世の装飾建築の見直しをする事によって、装飾は労働×時間の関数、労働の質は決してイヤイヤでなく実のある内容であり、時間をかければかけただけ価値は上がると主張した。建築は時間の集積の結果として存在し記憶となって『文化』を生み出していく、「労働者の幸福論」である。実際、労働の成果としての建築を尊重し、時とともに変化していくものをなんびとも手を加えられないと当時盛んであったイギリスの修復工事に異を唱え、RIBA(英国王立建築協会)のG.Gスコットからのロイヤルゴールドメダルを修復に反対だと公然と分かるような方法で辞退し、異議申立てを行ったのである。重ねて言う、「建築の七灯」は犠牲・真実・力・美・生命・記憶・従順、7つのLAMPS(灯)をキーワードにした「建築の真の価値」論。「建築はそれに携わるものが幸福であるときに、良い建築になる」ラスキンの言葉が示唆するものは大きい。 われわれは、80年代末からのバブル期は勿論だが、効率、大量生産、大量消費の名のもとに都市や建築を工学的価値、経済的価値のみによって評価し、そこに込められた精神に焦点を当てつづけることを怠っていたのではないだろうか。「よいものを安く」ではなく、「よいものは3倍のコストと3倍の時間がかかる」と言うことを。
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