□  流行とかたち                            平成14年5月10日



‘かたち’は目的とする機能の延長線で決定される。流行は敏感でないと、いつのまにか取り残されてしまう。無頓着でいると、時代おくれの感がするが、取り残された中に本物の「野生」のかたちが「差異の表現」として浮き彫りになる。

何年か前は大きいめがねのかたちが流行っていた。飛行パイロット仕様のめがねのような男も女もとんぼ型の大きなめがねをかけていた。一昔前のテレビドラマのアクションものの刑事役の俳優がかけているようなめがねをかけている人はとんと見かけない。自分は近視で本当に目が悪くて、めがねを外すととても歩けない。視力もちゃんと出ないし、厚いレンズで重くなってしまう。30年来コンタクトレンズにしている。調子が良くて殆ど無くした事はない。10年に一度ぐらいの買い替えだからかなりの割安感。今頃の季節は風が強くおまけに乾燥していて、砂ぼこりから目を防ぐためもあって、素通しのめがね、サングラスが欲しくなる。素通しでも気分転換で、まわりの世界の見え方が変わった気がして楽しく毎年買い換えたくなる。

めがね店をのぞくと、最近は殆ど小さいめがねが主流だ。テレビで芸能人がかけているような、フレームは紫色、黄緑色、こい赤色だの、本当に色とりどりで、小さくて全体に細めのかたちをしている。最近は醤油顔で小顔の人が多くなった気がするが自分はそうでない。いくら遊び心でかけたくてもどれをとってみても似合わない。顔の面積とめがねの面積があまりにも違いすぎるのである。めがねをデザインするかたちは本当に千差万別だ。本来はいかに人間が目を通して見えやすいかたちか、顔のかたちにあったかたちかが、デザイナーのコンセプトとしてずっと考えられて来たに違いない。身体のどこをとっても複雑なかたちをしているし、そもそも人間の顔のかたちは百人百様だ。顔に合わせたデザインは幅が広すぎる。見やすいという機能の延長線でかたちを決めるなら、目は人間の身体の中で唯一幾何学的な単純なまるだから、めがねのかたちも単純な幾何形態なまるでいい筈だ。

レンズも薄くなって渦はまかなくなったし、加工技術もきっと世界最高水準。どんなかたちのレンズも加工できる技術がある。選び切れない程あるめがねのかたちの中で、自分はコンタクトレンズを愛用し、めがねを選ぶならできるだけかたちの存在感のないこわれやすいけど、ふちなしのめがねを選ぶようにしている。

単純なまるいだけのめがねをかけている人は殆どいなくなったが、若い時よく聞いていたビートルズのジョン・レノンのもう古いかたちであった筈のまるいめがねが見慣れたいろんなかたちのめがねの中で新鮮な「差異の表現」としてみえてくる。



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