□  技術の移動                            平成14年5月16日



 ‘バブル’崩壊後遺症。1980年代後半から始まったバブル経済。建設業は、1〜2年のタイムラグがあるから、常に後手後手にまわってしまう。崩壊したリバウンドは2〜3年経ってから顕在化してくる。地方の中小建設会社にとって、バブル期に世間で云われているような負の遺産を背負いこむ程、賢く動きまわった企業は殆んどいない。ごく一部を除いて財力も企画力もないのが実態であった。大事なことは、技術が移動してしまったことにあまり気付いていない。

 確かに工事は今から較べると数多くあった。建設会社の技術者も、現場で働く作業員も人手不足状態。いきおい現場の所長は、工事のかなりの部分を専門工事会社にたよることになる。技能を主体としていた専門工事会社も、建設会社が担わなければならない技術の分野をしっかりと蓄積したのである。現実にこういった状況に1995年「建設産業政策大綱」が発表され、建設産業の将来ビジョンが明確にされたのである。土木工事ではそれまで下請工事専門でやってきた会社が、工事量の増加とともに元請指向になり、幅広く技術の分散というかたちで技術力が移動した。

 ‘産・官・学’の会議。最近の新聞紙上でも、産・官・学連携についてかかれていない日はない。一昔前は大学が学問の府として、民間と手を組むなんてことは殆んど考えられていなかった状況が大きく様変わりした。大学で蓄積された頭脳を民間と一緒に研究開発し、日本の技術力を高めようというしっかりとした動きだ。冷戦状態が崩壊し、世界全体でものがつくれるようになった。どこの国でもものがつくれ、研究開発が進んでいくことは、裏を返せば国内の技術力が外に向かってどんどん流出していくことであり、資源の乏しい日本にとって技術を集積してグローバル競争に勝ち抜くしかないという危機意識のあらわれなのである。

 ‘バブル’崩壊以降、失われた10年といわれる1990年代を経て、日本の建設産業はさらなる縮退を余儀なくされている。今、PFIやESCO事業、デザインビルド(DB)、あるいはコンストラクションマネジメント(CM)、CALS/ECなど建設のシステムに様々な動きがある。たしかな技術を集積し、限りなく川下から川上へと向かわなければならない。



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