□ 歩く 平成14年5月17日
‘チラシくばり’。梅雨時に向かって住宅の防虫、防蟻対策の会社の営業社員。自宅の前の公園の駐車場に定期的に7、8人軽自動車で住宅地図を見ながら打合せ、歩いて分散していく。いわゆる‘ポスティング’の営業展開である。ピザ屋のポスティングと違って無差別という訳にはいかない。 スピードの速さによって「部分」と「全体」の見え方は変化する。飛行機から見える日本の姿は、世界の中の日本を「部分」として知覚するが、「全体」としての日本のなかの自分の住む都市を「部分」として意識する。高速道路は、早くて本当に便利だが、県庁所在地の前橋まででかけるのにあまり使わない。大した距離でもないので早めに出て一般道を走っていく。季節の移り変わりだとか、工事中だとか、他の車の顔がみえたり…、高架の高速道路にはないディテールが浮かび上がる。建築のデザインもスピードの変化によって見え方をデザインする。新幹線から見える、シャープでメタリックな建物の外観、走っている車から見える窓のかたち、そして歩いて建物に近づいて触れた時の玄関の取っ手。段階を追ったシークエンスを演出することが大切である。 ‘京都・哲学の道’。京都哲学、西田幾多郎(1870−1945)、参禅と思索に打ち込み、京都大学に迎えられ、門下に三木清、高坂正顕、下村寅太郎等多くの哲学者を輩出した。人は一定の速度で歩きながら考える。歩くと情報がすんなりと入ってくることもあるが、外の刺激にさらされ、行き詰まった考え方を整理するのに役立つ。他人と一緒に歩いていてもいい。会話ははずむし、会話が途切れても苦にならない。じっと向き合った会話は、間合いが難しいし、間合いを取るために肝心の話がそれていく。外の刺激にさらされながら歩くことによって、大体の考えはまとまってくる。 地方の都市の中心市街地の状況を見ると、本当に自信を失ってしまう。車社会だからと言い古されたことは言いたくないが、人が歩いていなくなってしまった。郊外へ、「中心から周縁へ」と街並みはだらだらと分散していく。若い政治家が自転車で街の中を走っている。パフォーマンスと思われがちだが、目線を変え、細かい路地を再発見する。街の見え方が、人とのふれあい方も変わってくる。選挙でかせぐのは足といわれるが、政策も変わってくるかも知れない。 ポスティングのチラシ配りの営業社員。汗がにじんできた時に、自分に「気合い」を入れて、一気に歩きながら、1軒1軒の家のかたちと生活が見え、営業に結びつくかも知れない。電子メール時代だが、外に向かっていろんな情報をとり、歩きながら考えていくことの大切さを忘れてはならない。 追伸:私は土曜、日曜、歩きながら考えます。休みます。
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