□  自助努力                             平成14年5月23日



 建設業界で「自助努力」といわれるようになって、10年近くは経つ。違和感があったが、今は日常会話になりつつある。ルース・ベネディクト著「菊と刀」(社会思想社刊)の日本文化の型、恥をかきたくない、みんなで手をつないで行動する「恥の文化」からの脱却だ。

 地方の‘○○銀行’が昨年12月に経営破たんした。細かい事は分らないが、昨年9月時点での自己資本比率がマイナス6.27%と、国際会計基準は到底満たしていない。典型的なバブルの後遺症、銀行の健全性をもとめた不良債権処理が思うようにいかなかった結果、市場からの撤退である。銀行はここに至るまで、必死で自己資本比率を高めるために‘増資’を幅広く募ったのである。ターゲットになったのが、地方の富裕層と預金持て余し気味の中高年層。行員に熱心に勧められるままに地方銀行の体質改善と、預金から投資へと慣れない資産運用に、預金が移動したのである。

 先月、損害賠償請求が出資者70人から銀行と旧経営陣を相手取り提訴された。訴訟の成り行きは見守らなければならないが、要は百数十億円の昨年3月増資公募時点、債務超過状態を出資者に情報開示、ディスクローズしていなかったのではないか、しっかりとディスクローズされていれば、破綻した銀行の増資に応じなかったということである。銀行が財務局に提出した「有価証券届出書」から、当時の財務内容を知り得る事は可能だ。確かに閲覧は、東京あるいは地方の財務局の閲覧室で見る事が出来る。普段身近な人間関係をつくり上げている銀行員との間で、増資を頼まれれば応じる人は多い。「有価証券届出書」「監査報告書」そして細かく書かれた「注記」や「特記事項」まで入念に自己責任、自助努力でチェックすることが求められている。

 ‘自助努力’。現実に自分の身近な環境として、年老いた身内の人間に、情報開示された細かな書類に目を通し判断するという、自立した状況は到底思い浮かばない。なんとなく云われるままに、横並びの感覚で行動する事で足りていた。建設業界、自助努力が強く求められている。今まで培われてきた‘「菊と刀」の環境’から脱却、変化するのには、そう簡単にはいかない。まだまだ時間が必要なのかも知れない。



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