□  非通知                              平成14年6月5日



 IT化の基本は「中抜け」である。中間を省略してダイレクトに結びつくことによって、スピーディで便利になった。緊急時、災害時の時など本当に携帯電話は役に立つ。瞬時に担当者と連絡が取り合えるし、生の情報をコントロールすることが出来る。待ち合わせ時などはかなり威力を発揮する。最近気付いたのだが、携帯電話の自分の番号が非通知な人はほとんどいなくなった。

 ショルダー型の大きな携帯電話、大きなアンテナのついた自動車電話と使って来たから、携帯電話を使い出して長い方だと思っている。電話のない場所での緊急用と、車の移動時のリアルタイムの連絡用に使っていた。料金も高かった所為もあってあまりかけなかったし、かかってくることも少なかった。料金も安くなり、かなりの数で普及し、フィンランドのヘルシンキ駅では清涼飲料水が携帯電話で買えると聞いて、「中抜け」の究極だと思って驚いていたら、日本でも始まった。コインの「中抜け」である。新幹線の切符も会員になれば携帯から予約購入できるまでになった。職員に頼んで駅まで買いに行く行為が「中抜け」になったのである。

 人と会話をしている時に携帯がかかってくると辛い状況になる。番号を見ると出なくてはならなく保留に出来ない。いきなり出る訳だから、考えた言葉使いもうまくいかない。今までの相手との会話は途切れるし、席を立って携帯で話をしだすと、何か相手に聞かれたくない話をしているようで気まずい。会議中に携帯で別の打合せは、会議の仲間の時間を奪った気がして失礼の気がする。混雑の人の流れの中でも、携帯1つでいきなり「個」の世界とコミュニケーションも拡げられる。便利であたり前のように使っていても、目的とする「機能とかたち」がズレを生じていることも忘れてならない。

 元々携帯から携帯へかけることは少ない。声もハウリングしてうまく聞こえない。電話番号もディスプレイ表示、非通知の電話だとなかなかでてくれない人もいる。携帯の非通知は今の時代マナー違反の気がするが、少し前までは用件のみを済ますのに普通電話のやりとりで十分事足りていたのである。ディスプレイ通知の携帯のネットワークの輪が複雑に益々拡がっていく。



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