□ メモ 平成14年6月6日
大学ノートに黒と赤のボールペンで、他人まかせでなく自分の手で、自分の言葉で、こと細かくビッシリと書いて、会議もきちんと取り仕切れる、身近の何人かの人は評価が高い。 ザウルス(シャープ製)、バイザー(ハンドスプリング社製)等、持ち運びができる電子手帳がいくつも出ている。自分も数年前に購入して使っている。手帳というよりはメールの送受信からインターネット、拡張すればデジカメ、殆んどのパソコン機能が付いている。住所録だとか、気になっていたことを書き留めておくメモも、データとしての処理能力は抜群だ。綺麗な文字に変換はされるし、項目別、重要度別に分けられるし、スケジュール管理も本当に良くできている。 うちの設計事務所では、打合せに大学ノートは欠かせない。設計、施工の打合せ会議の次第をきちんとノートにとるのは必須だ。帰りの一緒の新幹線での自分とのやりとりの会話。ただ聞いているだけで、ノートを持たない営業担当者は、10のうち4つくらいはやるが、後は忘れてしまう。自分の会社の社員もノートをとらない社員は数多い。現場での定例の打合せ記録は勿論残さねばならないが、日常の、自分から進んで行動をし、計画を立て、結果を出さなければならない業務の時は意外とノートをとらない。いつも口癖のようにノートをとることの大切さを言い続けている。 電子手帳は、膨大なデータを記録し、整理するのには便利である。自分で書くということは、書いていた時の情景がそのまま浮かんでくる。筆が乱れていたり、筆圧が強かったり、紙に転写された自分の気持ちまでがよみがえってくる。点ひとつ、何気ない記号ひとつひとつをとっても、その時の思い入れが伝わってくる。パソコンや電子手帳のデジタルに綺麗にまとめられた書類は、外向きには第3者が見て見易く仕上げられる。アナログな自分の字で書かれたノートの中に、文字以外の感覚がよみがえり、浮かび上がってくる。
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