□  老いる準備appendix                               平成14年7月24日



 7月19日の森の声の‘老いる準備’の反応は敏感だった。特に地方の中小建設会社の2世経営者は、公共事業が縮小、マイナスに下降していく中で‘終わる’ことの出来ない不安感を実感として肌身に感じ取っている。

 会社勤めの人なら58歳、60歳、定年などと自動的に「外の力」で今までの人生の1つの区切り、‘終わりの準備’が出来る。経営者は自分で決め事をつくらない限り、‘終わること’は出来ない。右肩上がりの経済動向ならば、いつまでもやりがいが積重ねられていく良い時代は終わった気がする。一方介護の必要になった高齢者が精神的にどんどんマイナスに下降していく中での厳しさと、まわりの苦渋は計り知れないものがある。終わりに出来ない、取り除くことの出来ない報われない介護の厳しさと、今の経済状況下の経営者の感覚はどこかで共通するものがある。

 農業を営む人にとって定年はない。自分の住む地域の村部でも主屋と隠居屋があり、一定の時期になると息子の世代に家督を移すと、住む場所も入れ替わり、主屋での座る場所も交替するという。7月21日の日本経済新聞の27面、加齢社会の1ページ。民俗学者、宮本常一が出身地の瀬戸内海の島にある山口県白木村(現東和町)での往時の子供の躾を描いた「家郷の訓」。宮本が話し好き、歌が上手な祖父から知らず知らずのうちに民俗学の手ほどきをうけた原点が手短に書かれている。大正の頃までは、その地方の男は61歳になると「ヘヤ」(隠居部屋)に退き、その妻はシャクシを嫁に渡し、嫁の許可なく食糧棚の戸に手をかけなくなる。主婦の座を明け渡す。孫たちは6、7歳頃までは「ヘヤ」で育てられ、「夜は必ず肩をたたかせられる。そのかわりに昔話をしてくれる。これが楽しみで、祖父に抱かれて寝ては昔話を聞いた。」本来あった良い意味での地域の文化の伝承の姿なのかも知れない。

 最近は殆んどどの農家でも家計は女性の役目になった。2世代、3世代同居の住居の形式が定着しつつある。世代の移行が難しくなっている。積重ねたものの積降し、‘老いる準備’を先延ばし、‘終わらないこと’の辛さを感じている。



ご意見、ご感想は ndk-aoyagi@ndk-g.co.jp まで


「森の声」 CONTENTSに戻る