□  都会の空白                                   平成14年7月30日



 毎日34度、36度がつづき、かなり暑くなってきたせいか稀薄な動機で悲惨な事件が繰り返し発生し、憂鬱な気分になってくる。夏休み、東京駅もかなりの人の移動で混雑が始まっている。人も少ない明るさも暗い「地方の空白」と比較して雑踏の中の「都会の空白」は、較べるべくもなく強烈な孤独感が漂う。

 先日、良く立ち寄る東京駅のコンビニで悲惨な事件が発生した。事件の経過は連日テレビ、新聞で報道されてきたから充分に理解はされているが、何とも云えぬやり切れなさだ。被害にあった人の父親の毅然とした応対の立派さには感心したが、恒常的に発生している万引き被害防止に、果敢に対処していた被害者の旺盛な正義感の強さには敬服する。年中通っている階段の場所とコンビニ、自分の日常生活のパターンの中で発生した身近な事件だけに、驚きは倍増する。それでも何もなかったように客が訪れ、相変わらず店は繁盛して普段の日常に戻っている。

 数年前の春休みの東京駅の新幹線ホーム。かなりの乗降客で混雑はピークに達していた。新幹線に乗るために私と娘の2人で行列の前から2番目に並んでいた。先頭は老年の夫婦。乗り切れない程の行列が出来、後列の人は並んでいても座れそうにない。遅れてやってきた熱海の旅行帰りの中年男の5人組。2人と3人に分れて、行列の先頭の辺をうろうろし始めた。行列のまわりの人たちが、「ちゃんと列に並んでいるのに」とささやいているのに、一向に知らん振り。次の新幹線でも待っているのかと大して気にもしないでいたら新幹線のドアが開いた途端、一番先に乗り込んだ。一気に追いかけて、中年男のコートの襟をつかんで引きずり降ろした感触を今でもまだ覚えている。何か言い訳したから余計に怒りは大声となり、手まででて爆発したのである。

 先日の東京駅の事件。社会正義の役目を果たす筈のマスコミ、テレビのコメンテーターの無責任な発言。「恐くて私なら注意できないですよ」。そういえば自分の新幹線のホームも誰1人駅員に連絡する人も居なかったし、中年男たちに非難の言葉と行動を一緒にする人は誰もいなかった。「降りろコール」でもわきあがるのかと思ったが、戦ったのは自分1人。連帯感のありそうな人混みの中で、「都会の空白」はこんなものかも知れない。過疎地域の「地方の空白」は‘はし’を落としたって分る「空白」。数年前の新幹線ホームの出来事以来、1人娘は私と2人きりで電車に乗ることはなくなってしまった。



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