□ 「柱の文化」と「壁の文化」 平成14年8月2日
伊勢神宮の列柱、あるいは出雲大社に原点があると言われるが、日本は木の文化、「柱の文化」であり、それに対して西欧は組積造などに代表されるように「壁の文化」の世界である。 「柱の文化」。柱を点的に配置し架構をかけ屋根をかけることによって場は区切られていく。柱は点、線材として構成されていくわけだから、仕切られていく空間は格子のように等質な場の組み合わせになっていく。間仕切りは障子、ふすまといったあけ建て自由な道具でつくられる。室内の空間の床は畳、板などが敷かれどこにいっても互換性のある均質空間が出来上がる。建築の内部と外部は遮断されることなく相互に出入り可能、開放的になる。内部と外部が一体となり入り組んだ「柱の文化」。社会構造でも内部の論理がそのまま外部の論理になり、あいまいさ、根まわし文化、wetな社会の醸成の原点があるような気がする。 「壁の文化」。組積造だからあまったところが開口部。光や風が入るところが窓だし、人が出入りする壁面が出入口となる。ドア1枚しめれば完全に外の世界とは別の、自分の内部の世界。内部と外部が「壁の文化」によってきちんと区分けされる。きちんと個の領域が確立される訳だから、真の意味での個人主義は成熟する。言いたい事ははっきり言うし、裏付けとしての宗教もしっかり生活に根付き、いい意味でのドライな社会がつくられていく。 内部と外部が「柱の文化」だからあいまいな複雑な社会、別の見方をすれば透明性のある社会、日本。自分達の集団の考えがいつも外部から見て正しいと思っていたのは「柱の文化」。最近新聞を賑わす事件も殆んど内部の常識がきちんと確立しにくい土壌だからひんぱんにきしみとなって発生する。内部の常識が外部から見ると非常識におちいりやすい。「柱の文化」から「壁の文化」へと未成熟なかたちで移動が早すぎるのかもしれない。 (appendix)
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