□ 「縦書き」と「横書き」 平成14年9月2日
簡単に「縦書き」と「横書き」に変換できそうなのが日本語の文章。文章は、‘読み手’を意識しながら、自分の考えている考え方を自分の身体感覚、指先から筆記具を通して文字として表現する‘書き手’の表現である。最近は殆どの書類が左上から書き出して右下までの「横書き」表現になっている。 「横書き」表現は書き易い。講義のノートをとるのも基本は横書き。速い速度で聞き取った内容を書き留めておくのに便利。途中で切れても何の抵抗もないし、箇条書きにまとめ上げるのにも都合が良い。ましてや英文の横文字を入れなければならない内容が最近は頻度が高いし、英文を「縦書き」に変換して書き留める事は難しい。「横書き」表現は、‘読み手’を意識しない情報整理、発信には役立つ。しかしながら、最近は中学・高校の教科書も殆ど「横書き」表現。 「縦書き」表現。書の世界。‘書き手’の思い入れ表現の強弱が、しっかりとメリハリのついた中で肉体表現として和紙に転写される。床の間に飾られた掛け軸の書を見ると、‘書き手’の息づかいまでも伝わってくる。和紙の上段から下段まで、全身を使い、間合いをとりながら書を「縦書き」に書き上げ、作品としての書の世界が出来上がる。書物は殆ど「縦書き」の世界。途中で文章−文体を変える訳にいかない。句読点、行間の取り方、文章の書き方も遅くなりがちだが、それだけ、ていねいな表現になる。‘読み手’にとっても、一気に記録の延長としての文章を目の動きと連動して読みつづける「横書き」と違った読み方、‘書き手’の表現が伝わってくる。 「森の声」。5月から始めて4ヵ月。土・日休んで毎日書いている訳だから写真の添付の事もあって「横書き」にならざるを得ない。今までの文章を全部「縦書き」に編集し直そうと思っても、なかなか難しい点がある。日本語は、簡単に「縦書き」「横書き」へとパソコンで文字の配列だけは変換できても英語はそうはいかない。パソコンの表現は「横書き」が基本、「横書き」の勢いは消えそうにない。日本文化の自立の脆弱さもこんなところにあるのかもしれない。文章は、5Bぐらいの鉛筆で、ステッドラーの小さな芯研器で削りながら、ゆっくり「縦書き」で書いていくのがいい。
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