司馬遼太郎の「街道をゆく」、十津川街道の「谷瀬(たにせ)のつり橋」。昭和29年、800万円の工事費を全住民が30万円ずつ出し合って架けた橋、「公共事業」である。十津川郷は、奈良県吉野郡の奥に広がっている広大な山岳地帯。「谷瀬のつり橋」、谷瀬とその奥の人々の利用に限られてかけられた大吊り橋。昔から永く培われてきた「公の精神」が当時としてはかなりの大金を負担してまで橋をつくることに役立ったのである。今のお金に換算すればこじんまりした家一軒分ぐらいの各戸負担。税金を使わない「公共事業」、まれな例だが数十戸しか住戸がなくても需要があるから「公共事業」を自分たちで実行したのである。
「道」がないから「道路」をつくる。難しいことを考えることはない。最近の風潮、「道路」をつくれば、費用対効果、アカウンタビリテイ―(説明責任)、環境効果・・・そして無駄な「道路」、「公共事業」となる。「公共事業」に対する風はまさに完全に強烈なアゲインストの風。景気回復の着火剤どころか建設産業そのものを「普通の産業」、供給する側の論理の見直しに目が向く動きは止まらない。補正予算を組むといってもただ「公共事業」ではどうにもならない、供給する必要性のある「公共事業」に限定される。最近では「公共事業」と呼ばないで「社会資本整備」、「公共事業」と言えば、「ダム」と同じくらい俎上に挙がって論じられているのが「道路」。単純なこと、「道」がないから需要のある「道路」をつくるのである。「量」としての需要と供給のバランスの上に立ったのが「普通の産業」の市場原理、定量化出来ない「質」を考えた事業を起こしていく、市場原理に馴染まないのが「公共事業」。
この4,5日間、自分の住んでいる県の北から南の端まで3往復もした。片道百キロ近くもある。顔を合わせる打ち合わせだからしようがない、顔を合わせなければ仕事は前に進まない。県全体を斜めに縦断する鉄道は無いし横断する鉄道も無い。朝、社内でバタバタと自分の廻りの書類やら打ち合わせを済ませ、9時過ぎに車で出て後は「高速道」乗り継ぎ、目的地まで「高速道」が全部繋がりきっている訳でなく残った25キロ余りの道のり、「一般道」を走ることになる。打ち合わせを済ませて午後の1時半には帰社。こんなことは去年なら出来なかった。トロトロ今までの「一般道」を走っていけば片道3時間以上、完全に1日がかりは間違いない。この「高速道」も用地未買収などの理由で進捗率が上がらない、道路改革論議の中、途中で工事打ち切り対象路線に挙げられている一つ。それでも「道路」のおかげで1日の仕事の効率は間違いなく上がるし、移動の際の安全性も高い、だから3往復も出来るのである。
「道」がないから「道路」をつくる。人の移動は勿論だが「もの」の移動にとって欠かせないのが「道路」。「道の文化史」とも言われるように「道」は文化を育む。スローなビジネス、スローな商品が求められている。スローフーズの代表が地方で作られた安心できる手作りの新鮮野菜、新鮮食品、ファーストフードから確実に国民の目はスローな方向へと向けられている。つくった人の顔が見えるのがいい。都心の多くなりすぎた車の道路渋滞解消もしなくてはならない、毎日丹精込めてつくられたスローな商品を安全に届けることが出来るのはスピードのある物流「道路」。IT化の波がますます加速されていく、豊富な情報の中で蓄えられた知識が求めることは、「もの」を通したFACE TO FACEの顔が見えるスピード社会。「道」がないから「質」の需要がある「道路」をつくる。定量化できない「質」の需要を満たせるのは「公共事業」だけ。
どうしても需要があるから民間人がお金をそっくり出し合ってつくった「公共事業」、東京のアサヒビールの近くの隅田川に架かる「吾妻橋」、1774年、2560両を当時の二人の金持ちが出し合ってつくった話は有名な話、一人2文の通行料だったという。今の時代、希薄な人間関係だから「公の精神」も育まれようもないし、二人の金持ちも現れそうにない。
(青柳 剛)
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