「誰にも負けないぐらいに読みにくいし、‘字’が下手である」。2週間ぐらい近く待ってようやく、太いロットリング社製の万年筆のインクカートリッジが届いた。太いかたちの万年筆だから筆圧の強い自分にとっては好都合、頭で考えてることを一気に話す調子で書いていくには欠かせない筆記具。それまでは2Bの軟らかい鉛筆で書いていたのがこの万年筆で書き始めたら手放せない。スラスラと書き続け途中で紙に引っ掛かって苛付くこともない。文章は「話し言葉」と同じ、頭で考えた事が身体全体を伝わって素直に指先から表現すること、皮膚感覚、身体感覚の延長、もう少し言えば「身体の一部」として書かなければならない。
「森の声」の最近の2週間。インクカートリッジがないからペーパーレス、パソコンに手書き原稿なし、直接打ち込み。パソコンの文章は横並びの目の動きと一体となった横書きが基本。直接打ち込みでも年中パソコンに触れてる訳ではないから勿論ブラインドタッチとは無縁の技術。頭の中で考えることがキーボード入力、画面表示の繰り返し作業に追われストレートに現れてこない。「頭、身体、指先」そして文字とのつながりがパソコンによって分断されてしまう。いきおい書いていた文章自体も長く散漫になりがち。頭皮と脳の間を血が流れる感覚、「文章を書いていた」実感が余韻として残ってこない。あるのはパソコン画面の余韻とレポート報告書を書き終えた感覚だけ。
一気に手で書き上げた文章は身体から滲み出る「話し言葉」と同じ。「話し言葉」だから今度は声に出して読み上げなければならない。指先から出た文章は一気に書き上げた文章、勢いがあっても乱れがあるのはしょうがない。「頭、身体、指先」から出た文章を読み上げることによって、「目、口、耳」から今度は逆に身体を通して頭の中に入れていく。読みにくい箇所は息継ぎの句読点を足したり、入れ直したりする。文法なんかはどうでもいい、自分が読みやすければいい。話し方の上手下手は話の内容とはあまり関係ない。リズムがなければ話し言葉と同じで読みにくいし、聞きづらい。だらだらした部分は切り捨てる。「話し言葉」は一回限り、しゃべってしまえばそれっきり、取り返しがつかない。文章は思考錯誤の繰り返し、言葉を選び続け悩みながら推敲する事が出来る。
文章は身体表現。書きたい事を伝える気持ち、「心」、の表現。頭の中で考えた事を一気に書き上げる、余分なことは書かない。文章の良し悪しは最初の一行もしくは最後の一行で決まる。自分の感性を超えたものは書けない。パソコン直(じか)打ちで書く文章では誰も最後まで読まないパソコン等の厚いマニュアル本、説明文になりがち。やっとロットリングのインクカートリッジが届いた。文章を書くのに大事なことは身体で書くこと、原稿は手で素早く一気に書く事と決めている。だからいつまで経っても早く書く自信だけがあるから「悪筆、乱筆」、書き続ける‘字’は一向に上達しないし相手の身体の中が分からないのと同じ、誰も読めないのである。
(青柳 剛)
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