□  「デジタルな建築」                                           平成14年12月18日



 日本の建築の近代化の歴史は「建築家抬頭の歴史」だといっても言い過ぎではない。西欧技術の導入とともに職能としての建築家の地位確立の歴史である。自由と独立な立場を貫き、専門家としての能力を発揮する。事業主の様々な要求と社会の要請に応えるための高度な知的専門家としての能力が建築家には問われている。職人芸の、身体感覚の延長としてのそれまでの木造、日本建築。極端に言えばノミとカンナとカナズチを紙と鉛筆、烏口に置き換えた時から知的生産者としての建築家の歴史が始まった。そして今、建築の設計は確実にアナログからデジタルへと移行しつつある。

 日本ほど建築情報が豊富な国はないといわれる。毎月教科書情報的に出される「新建築」、「建築文化」、海外建築作品を扱った「A+U」誌をはじめ「GA」、「住宅特集」、「建築技術」、「建築知識」、隔週刊の「日経アーキテクチャー」、季刊誌「デイテール」そして同人誌まで挙げていけばかなりの数になる。廃刊になってしまったけど「SD」誌は建築以外のデザイン全般まで扱ったかなり突っ込んだ内容となっていて面白かった。一般読者向けの流行感覚で建築、インテリアを取り上げる週刊誌、月刊誌も内容が豊富だし分かり易い。建築写真の表現はどの雑誌も完璧に近いものがあるし、時代風潮を切り込んだ論文も居ながらにしてどんどん入ってくる。そしていつの間にか豊富な量の建築情報が身に付き、切り貼り自由なデザイン感覚が作り上げられ身に付いたと錯覚してしまうのかも知れない。

 建築の図面は頭で考えた事を手で表現する約束事。配置でも平面でもそれとも断面でももちろん全体スケッチからでもいい、小さなフリーハンドのスケッチから始まりかたちは出来上がっていく。デジタルな設計はいきなりパソコンの画面だから今までの手の感覚まで消えていく。実際の建築の縮尺1/100の図面,1/50の図面の感覚はなかなか描いていて伝わりにくい。線の太さも数字の上での太さだから凝縮された面の厚さとはかけ離れていく。スケール感は失われていく。角度も数字の表現で決めていくから勾配定規を使った微妙な角度の壁表現を決めていくのとは違った決め方。それでもデジタルな表現は豊富な情報量に裏打ちされた切り貼り自由なデザインとなってファッショナブルな建築が生み出されていく事を容易にしている。

 極端な事を言えば国会議事堂のかたちをそのままデジタル上で縮小しても住宅にならない。職人芸の延長としての建築のかたちが建築家抬頭と共に変わっていったのも十分理解できる時代の流れ。そしてパソコンの画面にいきなり図面を描いていく切り貼り自由な現在も否定する事は出来ない。建築の設計もアナログからデジタルな設計へと移りつつある。デザインのイメージも簡単にコピーできる時代。建築の本質を改めて問い直さなければならない。手の感覚を離れた新しい建築の思想を組み立てる、読み取る事に迫られている。

                                          (青柳 剛)



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