□  「感性」の時代                                                  平成15年5月2日


 感情に走ればともすれば過激なヒステリックな多数決の結果に終わってしまうのがポピュリズムの世界。冷めてみれば理性が働いてくるから本質は見えてくる。それでも感情に訴えることは分かりやすいことだからいつも感情が先走ってくる。こんなことの繰り返しが本質からは離れた多数決の世界として席巻していく。21世紀は1かゼロのデジタルな社会と言われてもいろんな選択肢のあるアナログ社会、本質をきちんと見据えなければならない。社会が大きく変革していく、感情とは違ったしっかりした「知」に裏打ちされた「感性」、「感性」を持ったほんの一握りの人たちが社会を、21世紀を本物のものとして変えていく。

 「COMPANY」とは今では日本語に訳せば「会社」の意味として日常当たり前に使われている。もとをただせば本当の意味は「仲間」のことであることを忘れてしまっている。「仲間」の集まりで仕事をすることが基本。「仲間」の気心は全部分かっているから動きはいい。家庭のことから体調に始まって性格、個人の能力も全部分かりきった者同士の「仲間」で働くのが「会社」。だから少人数が理想。「会社」の創業期はみんな2-3人、一日の仕事の始まりも終わりも明日の段取りも「仲間」同士、結論も早い。もちろん「会社」の舵取りも楽、「変化」に敏感に対応できる。動きが鈍くなるのは20人を超えたとき、組織が把握できる人数は20人が限度、生死を共にする特殊部隊グリーンベレーの隊員も20人、「感性」を共有できる単位である。

 「向こう三軒両隣」の付き合いは、会えば挨拶も交わすし日常のお互い家の中の出来事まで分かる。集団と組織のことを考えると面白い。自分の住んでいる都市は人口約4万5千人。歩いているだけで必ず知り合いに出会う集団としてのスケール。周辺の村に行けばそれぞれの家の非日常的な出来事は「箸を落としても分かる」とまで言われている。出会う濃密さは集団としての規模が大きくなるほど薄れていく。それでも百万都市仙台ぐらいまでの規模の都市でも人が集まる場所では必ず知り合いに出会う都市の単位。ところが1千万人以上の人口の東京で知り合いの人に出会うことはまず滅多にない。混雑し合う繁華街の渋谷でも同質化した人の集団に出会うだけ、顔が見えてこない。たくさんの顔が見えていても実際には何にも見えていないのと同じ、個としての「感性」は埋没し、ただ顔のない集団が見えている。

 同質な人の集まりで組織がかたちづくられてきたサラリーマン社会。性格から何から何まで共有できる「感性」をベースにした集団組織は20人が限度。20人を超えれば意識的なコミュニケーションをとらなければならない。会社組織を動かすためには決まりが必要になってくるし、細かな会議、責任分担を決めた部署が生まれてくる。個の「感性」が脆弱になってきたのが今までのサラリーマン社会。顔のない集団としての組織の終焉。多人数の組織のスケールを競っていただけの時代は終わろうとしている。本物の組織のあり方が問われている。確かな「知」に裏打ちされた「感性」、ほんの一握りの人たちが小さな組織はもちろん、大きな組織も本物に向かって変えていく。多様な選択肢と変化が21世紀、同質サラリーマン社会は消えていき、「COMPANY」へと戻っていく。個が解放される時代、人間は自由、変化を先取りしていく研ぎ澄まされた「感性」のアナログ社会がやってきた。

                                          (青柳 剛)



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