「うつし世はゆめ、よるの夢こそまこと」江戸川乱歩の「幻影城」。東京西池袋にある乱歩が「幻影城」と自称した面影そのままの土蔵がある。豊島区が土蔵を管理維持していく費用負担がかかりすぎ、立教大学に移管することになったと先日のテレビで報道されていた。戦災で焼け野原となった中でも乱歩邸は生き残り、書庫として執筆活動に使われた土蔵はそのままのかたちで残っている。昭和9年から31年間71歳で倒れるまで乱歩はこの地でこの土蔵で書き続けた。そして一本のロウソクの火を灯しながら乱歩の世界をかたちづくり、「幻影城」の書物の世界を彷徨ったと言われている。
「書斎があれば書物の世界に耽ることができる」。誰でも自分のスペース、書斎が欲しい。自分の好きな本に囲まれて休みの日は読書三昧か、好きな趣味の世界に浸りきれるスペースが欲しい。そしてたまには毎日の気になったことを書き留めておくことのできる小説家の使っているような大きな文机へと思いは果てしなく拡がっていく。ところがなかなか住宅事情が許さない。狭い敷地に家を建てるならば真っ先に削られていく。総予算の枠組みからあっさり消えていくのも欲しかった書斎。「書斎があれば書物の世界に耽ることができる」思いだけが引きずられていつも残っていく。
「書斎がなくても書物の世界に耽ることができる」。「仕切らずに暮らす」(住宅特集、03‘4月号特集)。DINKSに象徴される家族の生活スタイルも多様化、個としての家族がそれぞれの自立した生活スタイルで生活していく。1970年代に前衛的な住居として取り上げられた「個室群住居」。個室から外部へと直接出入り自由、個室を結び付けているのはホール、後は好きなときに個人個人で食事をするスペース、水廻りがあるだけ。個としての生活スタイルが変化したなら行き着く先は「個室群住居」だった。現実は逆、個としての存在を主張するはずの壁まで殆ど取り払われできるだけ広いワンルーム、一室空間的住居(難波和彦)へと向かっている。大きなワンルームの中にリビング、ダイニング、寝るスペース、そして透明ガラスで仕切っただけのバストイレが組み込まれている。書物の世界はリビングに居ながら、食事をしながら、音楽を聴きながら、寝ながら耽る一室空間的住居。
「書物に耽るから、かたちとしての書斎が生まれてくる」。「形態は機能に従う」、「機能的なものは美しい」。機械主義の延長としての無駄なものは省く、「機能」と「かたち」、生産システムと一体になった思潮が建築の近代主義。透明な均質空間。勘違いしてきたのが戦後の住環境の向上の名の下に呈示され続けてきたモダンリビングの概念、「N―LDK」。そこで行われるであろうと予測された「機能」付けられたスペースの組み合わせが「N−LDK」。「機能」だけが浮き彫りになるからつまらない。今となっては古臭い平面プランと感じてしまうのも「N−LDK」。書斎、応接間、居間といった機能を明示する部屋名のパズルから抜けられない。台所で原稿を書いていたのは脚本家橋田寿賀子、「幻影城」の乱歩の土蔵も一人歩きしていく。乱歩の子息平井隆太郎、「おやじはいつも自分の部屋の寝床で、腹這いになって書いていましたよ」。
(青柳 剛)
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