ものづくりには「考えつづけること」は欠かせない。建築の納まり、デイテールは「考えつづけること」。「考えつづけること」によって納まり、デイテールは磨かれ、緊張した空間が出来上がっていく。最後まで突き詰めていく姿勢、「考えつづけること」は詳細、デイテールが皮膚感覚となって浮き彫りになってくる。文章を書くことは自分の主張を相手に問いかける行為、感動を与え人の気持ちを動かしていく。一気に書き上げた文章には勢いはある、建築空間も最初のスケッチは荒々しくても素朴なかたちのなかに主張したいかたちの生の原点がある。文章を推敲し続け、建築もエスキースを続ければ続けるだけ生のかたちは洗練されたかたちとなってあらわれてくる。ものづくりを通じて「考えつづけること」は磨き上げていくことである。
文化の自動律、オートマテイズム。あるものを了解したものとして一人歩きを繰り返していくこと。既製のものを常に安易に受け入れることの繰り返しだから原点が見えなくなってしまう。建築空間ならはじめにイメージしてしまうのが床、壁、天井。そして床ならフローリングかタイルか石、あるいはカーペット張り、壁ならクロスかペンキ、天井は石膏ボード張り。床は人、ものをささえる水平面、壁は空間を仕切る面、天井は覆う面。もともと面で構成されるものに建築用語として床、壁、天井は後から付いてきたもの。固い空間を作りたいか、ドロッとした空間か、はたけばキンキンした空間になるかによってそれぞれの面の素材も変わってくる。後追いになったカタログ選びに終始するからわけの分からない建築が出来上がっていく。思考を止めた安易な組み合わせの繰り返しになるから原点とは離れ、一人歩きになっていく。ものづくりには「考えつづけること」は欠かせない。
飛行機に乗る人、降りてくる人、荷物の運搬、そしてトランジット、機能動線の流れが生命線の空港建築。どこの空港も機能美を誇っている。飛行機そのものも無駄をなくした流線型のかたちの機械の美学。最近の空港建築、どこに行ってもハイテクメタリックなシャープな形が出来上がっている。上から見た配置プランはさながら機能とかたちが一体となった昆虫の美を連想させる。そんななかでも機能美と離れた気になるデザインが飛行機にかぶさるように取り付くジャバラ、乗降通路のデッキと飛行機の微妙な角度の胴体に取り付く接点のジャバラはどうしようもない。デッキと飛行機の胴体との接点、納まりを決めきれないからジャバラがデイテールを飲み込んでしまう。建築の納まりの基本は違った材料、異なった角度のぶつかり合いとしまい方を処理するためにある。床と壁のぶつかりが幅木、天井と壁のぶつかりが廻り縁、ドアと壁の境がドア枠、仕舞いかたをどうするか「考えつづけること」。その結果あるのがいいのか、見えなく引っ込めるか、浮き出たかたちにするのか「考えつづけること」。選択する材料も「考えつづけること」。ぶつかり合いを上手に処理すると建築の納まりがきれいに仕上がったことになる。
ものづくりを通じて「考えつづけること」は、突き詰めた判断をいつも迫られる。沈黙は「何も考えないこと」、「わからない、できない」は「考えつづけること」のまえに「考えること」ができないということ。自己表現としての文章表現を「考えつづけること」は「てにをは」から始まって文章の構成、句読点の打ち方、読み手の息継ぎまで気になっていく。建築を「考えつづけること」はデイテールを浮き彫りにして生活表現を「考えること」。ものづくりを通じて「考えつづけること」は、自分を磨き上げていくこと、自分探し、自分を創ることだから面白い。
(青柳 剛)
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