住宅の中から畳の部屋は陰が薄くなりつつある。和室を作っても一部屋だけ、それも不意の来客に備えたり、年寄りの為の予備室となってかたちばかりの和室を設けるだけになっている。全部洋室フローリングで結構とまで言う施主が確実に増えている。そう言えばいつの間にか畳の部屋でも卓袱台とセットの「茶の間」は住宅の中から完全に消えてしまった。「茶の間」は、卓袱台を囲んでお茶の熱い湯気がほのぼのと立ち上がりながら家族団欒、茶飲み話に花が咲く日本的なイメージとなって結びつく。「茶の間」の衰退と共に伝統的な日本文化としての緑茶文化のありようが変わりつつある。
リュックサックの中にはいつも「爽健美茶」か「まろ茶」のペットボトル500mlを入れている。移動し続けて歩くと水分が足りなくなる。水分補給にペットボトルのお茶は欠かせない。駅のキオスクの中の清涼飲料水のガラスケースの中を見渡せばペットボトルの何種類ものお茶がずらりと並んでいる。1980年代はコーラに代表される炭酸飲料系、1990年代は缶コーヒーの時代だった。今は糖分ゼロのお茶のペットボトルの時代とも言われている。缶入りお茶も売られてきたが人気も味も今ひとつだった。糖分ゼロに加えてお茶の成分が健康に良い、発ガン抑制、コレストロールまで下げていくと言われている。それにしてもペットボトルのお茶は飲みやすいし味も格段に良くなってきた。暑い最中に一気に飲み干す爽やかさがペットボトルのお茶人気を支えている。
新茶の時期になると必ず静岡の新茶が毎年届く。お茶の栽培をしている一軒は教え子の実家から、もう一軒は社内の静岡出身の社員から送られてくる。教え子の実家から届く新茶は粗野な味がする。茎も入ったままのお茶、よく揉んでいない、収穫したての新鮮なお茶が送られてくる。飲みなれた市販のお茶と違って粗野な分だけ味もそのまま、取れたての新鮮な緑の素朴な野生の味わいがする。もう一軒の新茶は本格的な洗練されたお茶の味、温めのお湯を注げばほんとに濃いまろやかなお茶の渋みが湯気と共に口の中全体に広がってくる。もう長く続いている2軒の新茶にはそれぞれ違った味わいがある。新茶の季節に毎年湯呑み茶碗で味わうお茶の香りは季節と共にやってくる日本らしさそのものを味わうことが出来る。
住宅の中から「茶の間」は完全に消えてしまった。お茶の葉とお湯を混ぜ合わせる電車の中で売っていた温かいお茶の影も薄くなってしまった。茶殻の出ない、粉末をお湯に溶かして今までのお茶の味わいと殆ど変わらない手軽な粉のお茶まで出回る世の中になってきた。ティーパックのお茶の味も向上している。ペットボトルのお茶をはじめとして飲み易さ、お茶の味に近づく技術は確実に進歩し続けている。反面、会話がはずむ道具としての日本文化の伝統としてのお茶そのものが後退しつつある。ゴクゴク飲み干すペットボトルの薄いお茶が今は全盛、もちろん健康に良い、体脂肪を減らすのにもお茶のカテキンは役に立つ。お茶を飲みながら語り合う日本らしさの伝統もペットボトルのお茶から「茶の間」と共に消え去ろうとしている。まさかすべてペットボトルのお茶に取って代わってしまう事もないが、茶飲み話、たまには和菓子を食べ抹茶をたててゆっくり味わう緑茶文化の気持ちも忘れてならない気になってくる。
(青柳 剛)
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