1985年位から変わってきた。経済が成長しているから誰も税のことを大して考えなかった。源泉徴収、毎月の給料袋から引かれても誰も疑問に思わなかったのである。旧大蔵省の主税局が決めて政府税制調査会でお飾りの議論をして終わり、国家が国民に分からないうちに税を徴収する考え方で済んでいた。今では税制改革の動きが出ればすぐにマスコミに取り上げられる。国民の側から考えた税のあり方、国から受け取るサービスの対価、公共財に対する対価、税を国に国民が支払ってあげる「TAX PAYER」の意識が芽生えてきたのである。
国家権力が力を持って徴収するものが税、古くは年貢、租庸調、現代社会の税は所得税、法人税から始まって相続税、不動産取得税、消費税などと数え上げればきりがない。忘れてしまって勘違いするのが社会保険料、社会保険庁が徴収するから勘違いする。年金制度のために国家が徴収するものだから社会保険料も立派な税なのである。国家が徴収するものはすべて税になる。税の基本理念は高齢者、失業者、身障者などの社会的弱者の最低限を保障する。働いた人がそれなりの報酬、そうでない人は少ない報酬、ある程度の不平等はやむ得ない「機会の平等」、「結果の平等」までは引き受けられない、可処分所得の正しい意味での平等化が基本理念である。「結果の平等」をあらゆるところまで求めて続けてきたことからの変換である。
「シャウプ勧告に戻れ」。社会主義化してきた税制を元に戻す動きである。昭和24年荒廃した日本にやってきたアメリカの財政学者シャープが提言した。「納税者間の負担均衡」、「能力に応じた適正な負担」、「富の集中阻止」、「法人擬制説」、「独立税主義」などに要約される。そして今の税制改革の動きに照らし合わせれば「納税者間の負担均衡」は「納税の公平感追及」、「能力に応じた適正な負担」は「真の弱者への配慮による公正さの追求」、「富の集中阻止」は「退蔵資産の有効利用」、「法人擬制説」は「創業企業保護、国際社会との調和」に置き換えられるし、「独立税主義」は「地方分権と自主課税、共同徴収の動き」と理解できる。シャープ勧告の最高税率は10パーセントから5段階の50パーセントまで、その後税率はどんどん上がって稼げば稼ぐほど税率が上がっていく共産圏の国家でさえも類を見ない税制が出来上がってきたのである。
国から受け取るサービスの対価、公共財に対する対価として国民が支払ってあげるのが税、「TAX PAYER」の意識が確実に浸透してきた。余程の事がない限り日本では金持ちが生まれてこない税の仕組みが作られてきた。財政学の仕組みから考えれば一生の間に所得が上がりだすと共にそれなりに消費に費やし生涯が終わった時点で財産がゼロになるのが理想のかたち、結果として経済全体の仕組みとかみあってくる。税制は政治の動きと連動する。経済が成長してきたから誰も税のことを真剣に考えなかった。1985年の中曽根内閣あたりから変わってきた、その後の竹下、村山、橋本内閣へと税制論議と共に内閣が揺れ動いた感じは拭えない。デフレスパイラルだから将来に対してますます不安感は募り、最近は税制改革の動きがあればすぐに新聞報道となり国民の間の論議となっていく。払った税に対する対価を求める「TAX PAYER」の意識がようやく根付いてきたから論議は活発になっていくのである。
(青柳 剛)
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