大きな事件、出来事があるとまともな議論が消えていってしまう。マスコミがどんどん同じことの繰り返しの報道をするから一層拍車がかかっていく。今年の春先のイラク戦争が起きるまで、起きてから、収束するまで、殆ど戦争是非論で日本中一色になってしまった。総じて男は口を開けば戦争容認論者、女の人は平和的解決で一括りに出来たのかも知れない。一つのことにみんな目が向いてしまったのである。分かりやすい対象としての議論だから仕方ないといってしまえばそれまでだが、日々日常起きている出来事をはじめ、数多くの考えなければならない真っ当な議論そのものが消えていってしまうのである。
一昨年の9月11日のアメリカで起きた同時多発テロは衝撃的な大きな事件だった。同時多発テロの報道一色になったら、消えていったのはそれまで連日報道されていた一連の中央官庁の不祥事。いつの間にかマスコミからも人の話題からも一気に消えてしまった。その前の年の夏に起きた悲惨な新宿歌舞伎町のビル火災もそれまでの日本を代表する企業の不当表示事件から国民の目は逸れて消えてしまった。事件は繰り返す、確かに半年に一度ぐらいの割合で国民がそろって目を向くような事件が起きてくる。半年に一度ぐらいの周期で起きてくる大きな事件、出来事への関心に巻き込まれ、見過ごしてはならない筈の消えていったものは数え上げれば本当にきりがない。分かりやすい大きな事件のみ思考する。
今は自民党総裁選の真っ只中。自民党員以外はそれほど関係ないかも知れないが、報道は新聞をめくれば総裁選、テレビをつければ総裁選、週刊誌にも総裁選が載っていない週刊誌は殆ど見当たらない。何人か人が集まれば候補者論議に終始する。国民の目は嫌が上にもただひとつ、総裁選に向いていく。実質日本の首相を選ぶ選挙だから仕方ないといってしまえばそれまでだが、完全に消えていってしまっているのは、野党の動向。報道はされていないことはなくても誰も関心がない。野党があったっけ、ぐらいまでの感覚になっている。二大政党化しつつある政治状況だから本来は対立軸にある野党の動向が国民の目先から消えていってしまっていることは異様なこと。総裁選が終わって新しい内閣が出来るまで消えていった野党はしばらく見えてきそうにない。
イラク戦争の最中、歌手椎名林檎のコメントには考えさせられた。インタビューした人が期待したのは、きっと強烈な平和論者の戦争反対コメント。意に反した答えは「何もしゃべれません、現実に戦争が行われ、今現在死んでいっている人もあれば、家が無くなっている人もいる」。言葉まで戦争は消していく。それでも正しいコメントだった。先月の8月15日は終戦記念日。大きな事件に隠れて大事な論議そのものが消えていってしまう。戦争ではもっと大事なものが消えていく。市民と都市が消えていく。都市はそこに住む人たちの感覚と感情と記憶と混ぜ合わさって出来ている。消えていったものは二度と戻らない。最近北陸金沢を歩いていてふと思う。隣の福井と富山は戦災にあって金沢だけが免れた。古い都市の記憶が今でも消えずに残っている。だから人は消えなかった都市の記憶を求めて金沢にやってくる。消えていくものから目を背けてならない。
(青柳 剛)
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