文章を書くことは自己表現、くだけた言い方をすれば自慢することである。最近は自費出版ブーム、新聞の広告欄に毎日自費出版の広告が載らない日がない。体験記であれ、エッセイであれ、旅行記であれ、みんな文章を書いてみたいのである。自己表現をしたい欲求に駆られている。うまくいった成功の話はもちろん、失敗談、苦労話、誰にも経験できなかった話、自分しか知らない話、人の知らないこんな事まで知っていることを書きあらわしたい、突き詰めて考えてみると文章で表現する事は自慢する事に他ならない。それでもあれこれ頭に浮かんでも文章にする事はなかなか難しい。根気もいるし組み立てする能力も求められる。これはという感心する文章を書くのはもっと難しい。
情報量が多くなければ書く材料は見つからない。メモはいつもしっかり取っておくこと、メモから書く内容はどんどん拡がっていく。大学ノートは欠かせない。もちろん書く材料になりそうなネタは本の中にいっぱい詰まっている。どんな本でも読み続ける。自分の体験できない世界が体験できる。それでも本の中からの情報だけでは、遅れた感じは否めない。いろんな人にあって話しを聞いたりする事のほうが身近なタイムリーな話題づくりに役立っていく。後は言いたい一行ないしは一言が大事、一言で文章の余韻は残るし、メリハリまで出来ていく。そして何はともあれ一番大事なのが文章のタイトル、タイトル次第ですべてが決まってしまう。他人の本のタイトルだけを見ているだけでも役に立つ。
毎月送られてくる知人のジャズライブのご案内メールから無断引用。『拝啓 突然ですが、人体の老いて行く部位の順番は耳、脳、歯、目、爪の順なんだそうです。この頭文字を書くと「みのはめつ」。つまり「身の破滅」。うん、覚えやすい。成る程と思いきや、もちろん冗談半分です。うっかり信じてしまった方は、すみません。しかし言い得て妙、しかもよく使う部位である事は確かです。借金取りが来れば耳を揃えて返そうじゃないかと啖呵を切らなきゃいけない、若かりし頃には耳にタコが出来る程よく説教されもした。少な目の脳味噌は思いっきり絞らないと使い物にはならない。歯が立たない相手でも挑まなければならない時があるし、歯を食いしばって頑張らなくちゃならない時もある。好きな食べ物を前にすると突然、目がなくなるし、たまに目から鱗が落ちる事もあるし、高いところに上れば目も眩む。金欠時には、爪に火を点さなければならないし、偉い人の爪の垢は煎じて飲まなくちゃいけない。何だかいろいろ酷使しますねえ、ほんと。徐々に擦り減って行ったり、機能が低下したり、故障がちになったりするのは致し方ありません。「立てばギクシャク、座れば布団、歩く姿はブリの腹」なんてことにならないよう上手に齢を重ねて行ければなあなんて。お蔭様で「吾が肺は二個である」をはじめ五体満足。一個しかない部位も多々ありますが。これからも、何とか老化現象もものかは、演奏活動を続けて行ければ有難いことです。いつになく殊勝な感じで、はい。2月のライブ予定お知らせします。心行くまでライブの音楽を楽しんでいただければ幸いです・・・。敬具』
毎月こんな調子の知人から届くジャズライブ案内のメールは感心する。「みのはめつ」文章は軽くて面白い。ジャズを気楽に聞いて貰いたい気持ちの現れ、今月こそはジャズライブに行きたい気持ちになってくる。音楽家できっとリズム感がいいから気軽にこんな文章が書けるんだと妙に納得する。それ以上に元々、気楽に文章を書くことが出来る才能があったんだと思うしかない。文章は自己表現、みんな書きたい気持ちは持っている。自慢したい気持ちを持っている。書きたい、自慢したい気持ちがあっても実際文章にしていくのはなかなか難しい。我々は書く材料を必死に集めいろんな人に会ったり本を読んだりして書く訓練をするしかない。量を書くこと、毎日文章を書く訓練を積み上げていけばものを見る目も変わるし、いつの間にか本が出来上がっていく。そう言えば建築界の巨匠村野藤吾だって枕元にスケッチブックを置いて、毎日一案が出来上がるまで眠りに付けなかった話は有名な話。自慢したい気持ち、そう簡単に自慢させてもらえない。一日一文。
(青柳 剛)
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