「ものすごく良い薬がある。しかも頭が良くなって天才になる注射がある。打ってみるか、さあどうするかだ」。先日、大阪千里の阪急ホテル、似たような規模と環境の建設会社の経営者との話は面白かった。山陰島根の建設会社の社長。まだ知り合ってそれ程の時間が経っていなくても何故かいつも面白い会話、吸収するものがある。大阪、東京に出張した時の楽しみは本を買う事だそうだ、何でもかんでも手当たり次第に買っていく。ネットで本はどこでも買える時代と言っても実際手にとって買い求めたほうが確かである。買った本は宅配便で送るからかなりの量を買い込んでいるらしい。本をたくさん読んでいる人との会話は面白い。短い会話の中でも後で考えさせられることが多い。
新年の株式市場の大発会の後での経済評論家のコメント、「景気は上向き出した、後は農業と地方の建設業がどうなっていくかだ」。確かに両方の産業とも保護され続けてきた付けが廻ってきて来ているのかも知れない。いろんな助成金が付き、保護される中で農業の歴史はかたちづくられてきたし、顔の見える農業が動き出す動きはあっても点的な拡がりにしかなっていない。全体が産業として自立の方向に向かっていなかった。地方の建設業も似たようなところがある。バブルが弾けてまともに煽りを受けたのが中央の大手建設会社。バブル崩壊で官需民需総体の建設投資は減っても公共投資は10年近く増え続けてきたのである。民需が減る煽りは大手建設会社中心だったのである。それに対してバブルの崩壊の波を受けることなく公共投資主体の地方の建設業は右肩上がりか少なくともマイナスになることなく歩み続けてきた。結果、自立する方向性を見失った中で急激に公共投資縮減の波の中で立ち往生しているのが現実である。大手建設会社は失われた10年の間、早い段階から自立の道を探った中で今を迎えている。
新年の各建設会社の社長の年頭の挨拶が建設新聞各紙に載っていた。どの挨拶も「守りから攻め」。もちろん社内の構造改革がきちんと済んだ上での攻めに打って出るという姿勢もあるが、これ以上内部に目を向けているだけでは立ち行かなくなってしまう、元気を出さなくてはという悲壮感の裏返しにも読み取れる。確かに無駄を出来るだけ省いた社内の改革だけでは済まなくなってきた。待っているだけでは厳しくなることは目に見えている。攻めていかなければならない。それでも地方の建設業にとって攻めていくにはなかなか難しい。公共事業が減る一方だから新規分野への進出、同じ建設投資でも民需を狙え、新築はないからリフォーム事業、そして企業同士の合併再編協業化、行政側からのアドバルーンはあがっている。地方の建設業にとって攻めへの転換のポイントはこんなところかも知れない。
島根の建設会社社長の天才になる事が出来る注射の話。そんなに頭が良くなるんだったら少しぐらい副作用があっても打ってみるかと言う気になるか、打たなくてもそれだけ努力して同じくらい頭が良くなることを目指していくか。どちらかしか選択肢はない。地方の建設業、ほんとに厳しい時代になってきた。「守りから攻め」へと何か強いカンフル注射でもしなければならない状況である事は確かだ。いい薬かどうかも分からない、打ってみようかと思うことも大事、打たないでカンフル注射ぐらいの努力をかけてものづくり、ひとづくりに徹していくのもひとつの方法。そう、頭の良くなる注射があってもなんかただ時が過ぎていき、どちらとも判断が付かずに、ずーっと待って何にも出来ないで立ち往生しているから取り残されていく。頭の良くなる注射、考えさせられるものがある。
(青柳 剛)
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