「ありがとうございました」。入札会場でいつも耳にしていた言葉だった。落札者が発注者に向かって立ち上がって一礼をしながら言う言葉がいつの間にか全国共通の「ありがとうございました」。入札に参加したての頃は、きっと誰もが違和感を覚える光景だったに違いない。いつの間にか回を重ねるごとに当たり前の感覚が培われていってしまう。自分のところが落札出来るかどうか不安だし、うまく落札できた安堵感も手伝って「ありがとうございました」の言葉も抵抗感なく自然に出てくる。入札執行者も開札後の「ありがとうございました」の一言で無事入札が終わった雰囲気になってくる。「ありがとうございました」のやりとりで危うい気持ちが培われるのはここですべてが終わったような気持ちになる事、ここからすべてが始まると言う気持ちが脇に押しやられてしまう事である。
「ありがとうございました」、こんな光景も全国各地で電子入札が本格的に導入されだして確実に消えていってしまう。日本中いや世界中どこからでもいろんな会社が距離を飛ばして入札に参加でき、価格だけの競争が激しくなり行き着く先がダンピング、と勘違いされそうな仕組みが電子入札。もちろん電子入札は避けて通れない「中抜け」の手段としての道具、「中抜け」になった入札の中から消えていった関係を考え直す道具である。まさかパソコンに向かって「ありがとうございました」と頭を下げる人も居ないし、入札自体がネット上で淡々とドライな関係の中で行われる時代がやってきている。ここで入札会場で「ありがとうございました」の光景が消えていった跡に浮き彫りになってくるのが何かと考えてみれば、ゼロから工夫をしながら時間をかけて創り出すウエットな「もののつくりかた」である。
「ほっと」した「ため息」。長い時間をかけてお客と信頼関係を築き上げながら受注にまで結びつくのが住宅営業の基本。受注の口約束をもらってもきちんと契約書に署名捺印をもらうまで安心は出来ない。いつ他社にひっくり返されるかわからない。横ネガが入ってくるのはあたりまえ、契約までに振り払わなければならない事はたくさんある。お客だって一生に一度の買い物の金を出すんだから吟味し続けなければならない。プレッシャーをはねのけて契約となったときの営業担当者の「ほっと」した気持ちは推し量る事が出来る。それでもこの「ほっと」した気持ちが顔つきに出るからおかしくなる。そのうえ「ため息」まで出ればお客にとっては最悪な場面になる。契約の署名捺印はこれで良いのかと自問自答しながらお客にとって信頼した相手と長い付き合いになる出発点なのである。「ほっと」した「ため息」ではたまらない。信頼関係を築き上げるのに時間がかかっても一瞬で消え去っていく危険があるのはこの場面なのである。
「ありがとうございました」の一言ですべてが終わってしまったような気分になってきたのがまずい。受注までの努力の経過は話題になっても受注以後の話題は一向に聞こえてこなかったのが今までの建設工事の受発注システム。本来「ものつくり」はもちろん受注以後の話。せいぜい表彰工事を取った工事か事故が発生した工事ぐらいがたまに話題になるくらいで終わってしまうことを繰り返してきた。考えることが抜けて行く。入札も住宅営業の契約も「ものつくり」にとってはそこからが始まり、「ありがとうございました」と「ほっと」した「ため息」で終わっていたから国民から、顧客から逆風が吹き出した。「中抜け」、「褪せないデジタル情報の蓄積」といろんなメリットを言われても電子入札で一番変わる事は、ウエットな入札を「中抜け」したことによって「ものつくり」にきちんと目が向いていく事である。入札会場の「ありがとうございました」はすべてが終わった気になる「完了形」、「ありがとうございます、今後共よろしくお願いします」が正しいし、「ほっと」した「ため息」は「ありがとうございます、お互い長い付き合いになりますね」と置き換えてみれば間違いなく順風は吹いてくる。
(青柳 剛)
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