たて揺れ                                                    平成17年2月7日


間違いなく「たて揺れ」社会に向かっている。身の回りを見渡してみれば見ればみんなたてに揺れ出したと思っていても外れてはいない。地震で言えば震源地近辺をまず襲ってくるのは「たて揺れ」地震、その後大きな「よこ揺れ」が繰り返してやってくる。震源地から離れればゆっくりとした「よこ揺れ」が時間と共にやってくる。たてに揺れる揺れ方はもちろん上下の揺れ、直下型でやってくる。ゆらゆら揺れる「よこ揺れ」と違って振幅も大きくない。今日の話は、人の心も身体も、そして考え方までもが「たて揺れ」現象へと向かっていると言う話である。「たて揺れ」と「よこ揺れ」、対峙して考えてみれば良い。拾い挙げていけば心と身体、考え方までもが「たて揺れ」となった現象は数え切れない。「たて揺れ」現象、今の社会と今後の世相を解いてゆくキーワードにはなりそうだ。

 鴨下信一(人生のごほうび、サンデー毎日1・23日号)の話が見事に「たて揺れ」現象を言い当てている。「人気グループのグレイ。名前ぐらい聞いた事があるだろう。あれの大阪ドーム公演が中止になったのは、バンドの音が大きいからじゃない。何万人もの観客が跳び上がって着地する時の大音響で近隣がたまらないからということらしいよ」「昔のペンライトを左右に振ってた客席が懐かしいよな」「マツケンサンバもたてだぞ、あれは」・・・・。確かにそう、みんな小揺れ大揺れは別にして、「たて揺れ」に身体が揺れている。もちろん肩を組むなんて事はない、大きな振幅のある「よこ揺れ」ではない。グレイほどでなくても決して若くない長淵剛が九州で何万人も集めたコンサートでさえ観客はみんな片手を挙げながら、手を上下に振った大きな「たて揺れ」の熱狂で踊っている。「たて揺れ」に揺れれば廻りの動きなんか気にしないで済む。

 鴨下信一はサッカーの応援風景にも「たて揺れ」現象を見出している。「サッカーの応援も昔と違って、隣のサポーターと肩組んで左右に身体なんて振らない。みんな一人一人勝手にピョンピョン跳び上がるんだ」。そう、横に跳ねれば隣とぶつかってしまう。隣の人を気にしなくてはならない。隣と動きを合わせなければならない。隣を、廻りを気にしなくても良い、自分ひとりの完結型の表現が「たて揺れ」現象を生んできた。集団としての動きになっていてもスポーツの応援でさえ、廻りとは同調しない、したくない気持ちの表れとして「たて揺れ」が起きている。そういえば、今の子供の遊び方、近くの公園に集まってそれぞれが持ち寄ったゲーム機にそれぞれ黙々と熱中し、また時間が来ればそのままそれぞれが別れていく。決して相手のゲーム機を覗き込むなんてこともしないし、ましてやゲーム機の順番待ちなんてことももちろんありえない。集団としての序列もなければ駆け引きもない遊びのルール、ただ集まった形が出来ているだけ。身体の揺れはなくても心の中は一人だけで揺れている、これも「たて揺れ」現象に違いない。

 心も身体もそして考え方も「たて揺れ」社会に向かっている。自分たちの世代ならなんでこの人の言葉が、言い回しが流行語大賞に挙がってくるのかまったく理解できなかった波田陽区の語り口と紋きり調のワンフレーズ、あの人気も「たて揺れ」現象に裏打ちされた人気ではないかという気に最近なってきた。「たて揺れ」の語りはいつまでも尾を引かない。一瞬の笑いと頷きで終わってしまう、ただそれだけ、尾を引かない。世代間のずれは「たて揺れ」と「よこ揺れ」のずれ。そして、情報革命、デジタル化の波は一層「たて揺れ」現象に拍車をかけていく。毛筆までとは言わなくても紙、鉛筆、カードそして記憶力の世界は振幅の大きい「よこ揺れ」の世界、生々しさまでもが伝わってくる。閉じれば終わりのデジタルな世界とは明らかに異なる。「たて揺れ」、「よこ揺れ」で変化の度合いを見較べる。それにしてもいつの日か誰もが「たて揺れ」に揺れている社会・・・・・・・、ゲーム機の公園の子供たち、そのうち大人になって揺れる組織の仲間入りをする社会が出来ていく・・・・・・。

                                          (青柳 剛)

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