「夜になれば真っ暗、音もしない、しーんと静まり返っている。春になって夜に駅を降りれば聞こえてくるのは田んぼの蛙の鳴き声ばかり、夏はせみが鳴いて陽炎が立ち昇る道路は歩いている人なんて誰も居ない。秋は木枯らしがひゅうひゅう吹きすさぶ、冬はしんしんとした雪に覆われる。何にもないのんきな田舎だなあ」と言ったのは学生生活の終わる頃だった。「そんな事はないぞ。田舎だって男と女のもつれ合いの話もあれば、金儲けのうまい奴もいるし、失敗していく奴も居る。人との駆け引きだって激しいものがある。人が住んでいれば都会と同じみんな一人前のことが一通りある。今のお前には見えないだけだよ」と答えたのは父だった。なるほど今になってみれば父が言ったことはすべて当たっていた。当たっているどころではない、地方の田舎こそ人間関係が濃い分だけドロドロの人間模様がある。どこでも人がいれば渦巻くのが「嫉妬の炎」である。
選挙が始まれば中傷誹謗はひどいものになる。候補者も選挙の時とばかりぺこぺこするから余計におかしくなる。腹の底で選挙民に馬鹿にされている。身近だった人に自分の一票を投じるからその後の政治家に対する悪口はひどいものになる。功なり名を遂げた人が地元の名士、この人達が又悪い。ありとあらゆる公職を引き受けるのは有難いがどの会に行っても同じ人が会長では様にならない。上り詰めた気持ちは抜けられない。もっと悪いことにいつまで経っても止めない事、自分がいなければ駄目、若い人に任せられないと思い込むから一層ひどい。歳をとって一丁上がりが恐ろしい気持ちがそうさせる。出る杭は、間違いなく叩かれる。若ければ態度が大きいとまで言われる。かといって溺れそうな人を蹴っ飛ばしはすれ、手を差し伸べる人なんか居ない。隣に蔵が建てば腹が立つ。会合で座る席順を間違えれば後で聞く陰口はひどい。まあ挙げていけばきりがない。政治も話題がないから、しがみつく年寄りもこれこそ老害だから・・・、いろんな解釈をしても、おそらくどこでも人が何人か寄れば渦巻く「嫉妬の炎」そのものと了解すればみんな事足りる。
かといって「嫉妬の炎」がすべて足の引っ張り合いの悪い方向に働くとは限らない。嫉妬はとんでもない力を発揮する。文芸の世界、脚本家久世光彦が50歳を過ぎて何を今更と言われながら、ものを書き始めた動機の一つが、向田邦子への嫉妬だと言う(昭和恋々、文春文庫)。その何年か前、向田邦子が「父の詫び状」で物書きとしてデビューした頃、山本夏彦が「向田邦子は突然現れて殆ど名人である」と誉めそやした事がきっかけ、久世光彦にとってこの悔しさが嫉ましさに代わって物書きにもなったと述べている。そして、もっと幅広く眼を向ければ、日本人そのものが欧米人よりも嫉妬する感覚が強い、そして嫉妬の底流にあるのが劣等感である。有史以来今日まで常に外国の文化を手本として吸収し続け日本が進歩してきた歴史は、劣等感を基本にすえた「嫉妬の炎」の歴史そのものと言っても言い過ぎでない。「いつかは東京へ出て成功したい」と言う地方からの出世物語もしっかり東京への「嫉妬の炎」が燃えている。「嫉妬の炎」が生み出してくるものは大きい。
「嫉妬からは逃れられない」、「嫉妬は万有引力みたいなもの」、「嫉妬は狐色に焼け」と言ったのは松下幸之助、嫉妬に悩まされ続けてきた気持ちがこんな名言を残してきた。「嫉妬されたらいくら自分から消そうと思っても消すことが出来ない。ただ時間が解決するだけ」とはまさにその通り、いちいち説明して廻る事も到底出来ないし又火のついた「嫉妬の炎」は簡単には消せない。いきなり出来る若い社員を抜擢してもつぶされ、どうでもいい社員になってしまった話はよくある話、どんなに謙虚であっても「あいつは変わった」として嫉妬されてつぶされる。父に言われた言葉は、よく考えてみればまさに世の中が嫉妬社会であると言う厳然たる事実を知ることだった。嫉妬はいつも根底に据えなくてはならない。世間と自分を対等に比較している限り、人間は救われない。嫉妬を制するものは人生を制す。久しぶりに面白い本を読んだ、「嫉妬する人、される人」(谷沢永一 幻冬社)のことである。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角人の世は住みにくい。・・・」(夏目漱石 草枕)。
(青柳 剛)
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