ある日あるときいきなり「競争の時代」になった。いや、又、「競争の時代」になったと言い直すのが正しいのかも知れない。この数年、競争の文字が飛び交わない日はない。市場原理に基づいた価格競争、国際間のグローバル競争、地域間競争、官から民へー民間で出来るものは民の競争力を導入、規制緩和・・・・、挙げていけばきりがない。学問の府、大学でさえ「閉鎖的で環境変化に鈍感である、競争がなく特色がない、経営管理の発想がない」(朝日新聞3月16日)とまで言われる。もちろん今までそれなりの「競争の時代」は緩やかであっても続いていた。いきなり何でもありの「競争の時代」に突入したとみんなが思い込んでしまうほどになったから軋みが出てくるのは仕方がない。本当の意味の「競争の時代」とは何かと冷静に考えてみる必要はありそうだ。
あれはもう何年も前の3月末、本格的な春の訪れを感じさせる春分の日あたりだった。場所は東京亀有、1DKのマンションの一室での三人の会話だった。徹夜明けの朝の五時ごろ朝刊を見ながら友達がもう一人の後輩にため息混じりに喋りだした。「情けない、何年か前だったらこんな事はなかった。毎年どんどん下がっていく。惨憺たるもんだ。それにしてもそっちの母校はすごいな。毎年上位1-2を争っているじゃあないか」。嘆いていた友達は番町小、一ツ橋中学、日比谷高校出身、うらやましがられた後輩は番町小、麹町中、開成高校出身だった。東京大学合格者数の新聞記事を見ながらの会話だった。そう、55年体制の一党優位の均衡が崩れ出し、革新的な都知事の誕生と共に何がなんだか分からない学校群制度になって友達の母校日比谷高校は見るも無残にほかの都立高と横並びになってしまったのである。「競争しない」、「横並び」がいい、「自由にのびのびと」とこのあたりから世の中の空気は変わった筈だった。
それが「競争の時代」、「競争の時代」と声高にどこでも言いだしたからからみんなが面食らいだした。負けてはならぬと焦る気持ちがおかしくさせる。昨年は、どこかの区役所の病院の設計入札で8千円台でダンピングのニュースまで入ってきた。予定価格が2000万円台、ただの8千円台だからとんでもない話、超低価格だ。ましてや建築の設計は知的活動だから入札にすることがおかしいと唱えていた建築家の協会の役員をしていた設計事務所が8千円台で応札したから問題は大きくなる。ところがこんな話は、ちょっと気にしてインターネットで見てみればごろごろ転がっている。簡単に「競争の時代」と言うわけにはいかない。都立高校の学校群制度もそう、よく言われる小学生の運動会もそう、競争しない雰囲気が流れていた。統制されていた戦前から戦後今まで、競争の二文字で時系列を考えてみれば社会は「競争する、しない」で揺れ続けてきたのである。だから、面食らった挙句の象徴が8千円入札であると思えば理解できる。
ある日あるときいきなり「競争の時代」になったと思った人の数はきっと多い。人が何人か集まれば背比べの競争原理は働いてくるし、経済は統制経済でもない限り自由競争となる。問題なのは競争の意味を正面から受け止める環境が出来上がっていなかったことである。いきなりの気持ちが引きずられるから何でもありの気持ちが沸いてくる。何とかして勝ち組に残りたい気持ちがそうさせる。なんでもありの勝ち組、負け組なら答えは見えている。力があって強いものが勝。これは競争とは言わない、「弱肉強食の時代」と言う。本当の意味の「競争の時代」とは何かと考えてみれば、努力して優れているものがどんどん伸びていく「優勝劣敗の時代」と冷静に受け止める。勝ち組、負け組と括っている間は、何でもありのギスギスした気持ちが拭えない。みんなが了解できる「競争の時代」、そう簡単にはやってこない。
(青柳 剛)
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