「煙草のにおい」が身の回りから消えていくと共に失われていくものは大きい。いつかの酒の話「飲み続けそうな自分」に続いて今日の話は同じ嗜好品、煙草の話である。「人により程度は異なりますが、ニコチンにより喫煙への依存が生じます」、「喫煙は、あなたにとって脳卒中の危険性を高めます」、・・・煙草の箱のデザインを目茶目茶にしてしまいそうな勢いのロゴでしっかり書いてあるから、勿論、酒より身体に悪い。雨でじめじめした日に喫煙車両に乗って帰ってくれば染み付いた煙草のにおいは強烈なものがあるし、そのうち新幹線も全車両禁煙になると言う。飛行機の中に喫煙席があったことなんか誰もが忘れかけている。会議で灰皿が置いてないのはもう当たり前、レストランも殆ど全席終日禁煙がやってくるのも近そうだ。食後の一服なんて光景は消えていく。「煙草のにおい」が消えていく、そして、透明な中性的な雰囲気が日本中漂い出す。
身体を動かして汗をかいた後の煙草の一服こそうまい。最近はあまり見なくなったが週刊誌の最初の2-3ページあたりだったろうか、見開きをカラーで使って赤銅色に日焼けした漁師の親子が漁港を背景にして煙草を吸っている煙草のPR写真は良かった。青い空と船の白さと赤銅色の顔に白い煙草と煙、絶品のコマーシャルだった。一日の漁が終わって岸に上がっての一服の心地よさが「煙草のけむり」と共に伝わってきそうだった。一日の力仕事が終わった充実感を噛みしめる時間に「煙草のけむり」がなんとも絵になる。筋トレ2時間あまり、汗だくになってシャワーを浴びてすっきりした後の煙草の味は格別だし、10時休みと3時休みの工事現場で見かける職人さん達の一服は作業の休憩時間に見事にあっている光景だ。
煙草について書かれた文章はいくつも思い出されるが、藤田宜永の短編小説「デカダンな旧友」の一節も面白い・・・・ルファリンが、両切りのゴロワーズを取り出し、「よろしいですかな」と聞いた。俺も、サイドテーブルに載っていたマルボロの箱を取った。「年々、嫌煙権とかいう下らない権利が幅を利かせるようになり、警察内部に蔓延しております。まったく、嘆かわしいことですよ」ルファリンは、そう言って口をへの字に曲げ、両肩をすくめた。「パリはまだましな方ですよ。カフェの床に平気で吸殻を捨てられるんですからね。私はそんなパリが好きだ」「同感ですな。亜鉛鉄板でできたカフェのカウンターでカルヴァトスをきゅっと引っかけ、煙草を吸い、吸い終わったら床に捨てる。この風習がパリから消えたら、もうパリはパリじゃない」・・・・・。
そうは言っても、世の中、禁煙の勢いは止まらない。パリもそうらしいが、例えば東京駅の近辺で煙草を吸おうと思えばとんでもないことになる。煙草が吸えそうな場所をぐるぐる廻って探してもなかなか見つからない。ほんとにどこにも無い。八重洲口のタクシー乗り場にあったけ、八重洲ブックセンターの入り口なら大丈夫、地下街の出口には灰皿があった筈、それならコンビニの前なら絶対においてあると確信に近いものがあってそれこそもう辿り着くような気分になって行ってみても、今はない。地下街のレストランだって昼時は全席禁煙、結局は丸の内側地下、煙草の脂が染み付いたガラス張りの喫煙所一箇所だけ、煙がもうもうとした中での喫煙ということになる。ゆっくり考えながら煙草をくゆらすなんて言うあの日焼けした漁師の親子や藤田宜永の小説の雰囲気にはとてもなりそうも無い。
「煙草のにおい」が身の回りから消えていくと共に失われていくものは大きい。身体に悪い煙草をきっぱり止めなくても本数を減らしただけでも食欲は増すし良く眠れる。禁煙にすれば室内の汚れはなくなるし、車はいつまでも新車の匂いが消えない、整理整頓まできちんとできる。その上、だらしなさまでなくなってくる。きっと全て良いことずくめになる。それでも身体を動かした後の一服はどうしても捨てがたいものがあるし、思考に耽るときに煙草は欠かせない。アルマイトのぺらぺらの灰皿を煙草一杯にしながら議論を積み重ねたのはいい体験だったし、建築図面のロットリングのインクが乾くまでにくゆらす煙草の煙はデザインの質を高めるのに役立った。文章を書く合間にキッチンの換気扇の下で煙草を吸っていた角田光代はいい文章を書く。もう少し言えば、川端康成も司馬遼太郎も小林秀雄もみんなどの肖像写真からも煙草の煙が消えていることがない。手から煙草が離れていない。煙草と共に思考を深めていったのである。禁煙の勢いと共に「煙草のにおい」が消えていく、そして、透明な中性的な雰囲気が日本中漂いだす、きっと文化のありようまでもがそのうち変わってくる。においのないブログ本全盛の危うさもこんなところにある。
(青柳 剛)
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