□ 建築家シリーズ                                              平成19年4月29日


 池原義郎は寡黙な建築家である。その寡黙さは同席すると気まずさが漂うほどである。

 群馬の人にはあまりなじみが無いかも知れないが、嬬恋村にある「岩窟ホール」は建築のデザインを目指す人にとっては必見の建築作品である。初めて「岩窟ホール」を見に行ったのは1973年、建築の設計を学びだした時だった。早稲田大学の池原研究室の先輩たちが企画した建築見学バスツアーに参加して見てきたことを思い出す。池原先生も一緒だった。朝早い出発だったので「遅刻してはまずい」、「早めに行かないと学部の後輩はバスの補助席になってしまう」、そんなことを考えながら一晩中図面を描きながら、そのまま徹夜明けの身体でバスに乗り込んだ。あの頃は関越高速道路も川越まで、あとは国道17号と18号を走りながら、かなりの時間がかかってようやく「岩窟ホール」に辿り着いたのも懐かしい思い出、今月、浅間山の麓にまだ雪が残る最初の日曜日、改めて「岩窟ホール」を見に行ってきた。

 「岩窟ホール」の建築は何が面白いかと言うと、一言で言えば複雑に変化するペデストリアンデッキだけで出来上がっていることだ。自然の景観を壊さないようにデッキは曲線を描きながら巧みに上下左右に変化する。訪れる人のVISTA(視線)が変化する。全体がスロープで繋がりながらVISTAが変わるポイントごとに休憩施設、売店といった建築施設が配置されている。そして、施設全体からはその後の池原義郎の建築の原点となるような手の痕跡が随所に見受けられる。繊細かつ大胆な建築ディテールだ。複雑な形をした鉄のガラス屋根、きっと一分の一のスケールで何度もスケッチを繰り返しながら考えたと思われる手すりのデザイン、FRP製のバス停のベンチのデザイン、複雑に切り取られた開口部、コールテン鋼で出来た「むくり」のあるゲート・・・、細部にわたった気を抜くことのない池原義郎特有のデザイン感覚を楽しむことが出来る。

 池原義郎に影響を与えた建築家は今井兼次であることに誰しも異論を挟まない。今井兼次は、今となってはあまりにも有名なサグラダファミリアを始めとしてそれまであまり知られていなかったアントニオ・ガウディの一連の建築作品を日本に紹介した建築家である。ガウディのほかにエストべリ、シュタイナーの紹介者としても知られる。今井兼次の作品は長崎の「日本26聖人殉教記念館」、千葉の「大多喜町役場」、皇居の亡き皇太后陛下の還暦を記念した「桃華楽堂」などがあるが、どれもこういった建築家の影響を抜きにして語れない。池原義郎にとって、今井兼次の下で長い間建築を修業した経験は重い。近代建築の潮流から外れた、「異能の建築家」と言われる所以だ。「岩窟ホール」は池原義郎が今井兼次との距離を計りながら独自の舞台で設計を始めたデビュー作「中山邸」に続く最初の本格的な作品である。

 池原研究室の建築見学バスツアーの帰りに立ち寄った建築作品が、出来上がったばかりの埼玉「所沢聖地霊園」だったから建築から受ける感動は増幅した。「所沢聖地霊園」は翌年、日本建築学会作品賞にも選ばれた。VISTAが振れるたびに演出が仕掛けられている。天空からそそぐ光と大地で構成された静謐な「祈りの空間」とそこに行くまでのアプローチの巧みさは素晴らしい。池原義郎は、その後、数々の洗練された建築作品を発表してきた。特に山形・酒田の丘をグルグル登りながら辿り着く「酒田市美術館」の完成度は高い。「見せ方」・「感じ方」・「触れ方」、池原義郎の作法の原点とも言うべき建築が群馬・嬬恋村の「岩窟ホール」、最近の若手建築家の危なっかしい軽いディテールとは一味違う、考え抜かれた重い作品がそこにある。建築見学バスツアーから30年以上経った今でも、この建築は饒舌に語りかけてくる。(文中敬称略)


                                          (青柳 剛)

ご意見、ご感想は ndk-24@ndk-g.co.jp まで


「森の声」 CONTENTSに戻る