□ こだわらない家                                                 平成19年7月2日


 東京への壁は高かった。今のような情報化社会になれば壁はどんどん低くなり、世界中がひとつになっているような気にまでなってくる。ところが、情報化社会どころか高校を卒業するまで家にはテレビがなかった。夕方になれば大相撲はテレビのある他所の知り合いの家に見に行っていた。東京オリンピックもラジオと新聞記事、改めて考えてみれば、当時でもかなり特殊な家で育ったのかもしれない。情報を取るのはラジオと新聞とわずかの本と限られた身近な人から伝え聞く話、入ってくる情報に対する思いはかなりいびつに膨らんでいく。いびつな分だけ未知の世界への勝手な思い入れは大きな壁をつくっていく。そして、簡単には東京に行けない交通事情も壁を高くするのに拍車がかかった。小中学生の頃、東京に行った回数はどう数えてみても片手の指の数にはならない。少しずつ、少しずつ、高い壁を乗り越えるたびに驚きの発見を繰り返してきた。

 今では身近にかなり見かけられるが、驚いた発見のなかでも強烈だったのが、家と土地に対するこだわりが希薄な人が東京にいることだった。家は何か特別なことでもない限り、変わらずそこにあると思っていた。あの当時では家の引越しは、数少ない転勤族の家族だけだと思っていた。家庭に亀裂が入ったり、親の仕事が傾いたり、何か出来事でもない限り、家は変わらない。確信に近い思いを抱いていたから、小学校に上がる直前に借りていた土地の立ち退きに会い、引っ越しをした経験は今でもはっきりと覚えている。道反対のトラックを持っていた人のトラックを借り、荷台一杯に家財道具を積み込み、助手席に乗り、埃立つ砂利道を揺られながら引っ越しを一度だけした。着いた先は、土間があって、その奥の2間続きの和室には手が届きそうな低い裸電球が揺れている仮住まいの長屋だった。ずーっとジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」の一場面のような引越し風景のイメージとなって記憶に焼きついている。

 人生のなかで大した変化もないのに、そのうえ特別な事情もないのに家を年中変わっている家族がいることを東京で発見したことは、それまでに抱いていた家と土地に対する価値観をあっという間に狂わせた。家に対する執着心があまりない家族がいる。勿論、仕事の都合で変わったわけでもないし、急に収入が上がったり下がったりしたから変わったわけでもない。親が俳優だった友人なんかは、それこそ何遍変わったか分からないぐらい引越しを繰り返していた。大学時代にも変わっていた。家への定着観念がなく育った友人は性格もおおらか、あまり小さなことに頓着しなかった。来ている服装もお洒落だったし、設計するデザインセンスも良かった。家に対する定着性が希薄な分だけきっと思考もこだわらないし、どんなことでもすぐに吸収しやすいのかもしれない。

 先日、結婚披露宴で話題になった藤原紀香が阪神大震災で被災した実家の前に呆然とたたずみ、「三分前は過去」と吹っ切るように口ずさんだ思い切りの良さには驚かされたが、きっと家に対する強いこだわりの裏返しの表現と読みかえれば理解出来る。最近は新幹線も高速道路も出来、ともすれば1日のうちで2度も東京に出かけることさえ可能になった。身構えなくても気楽に東京に行ける。本はどんな本でも溢れるように手に入る、インターネットで手軽に情報も取れる。東京への壁はどんどん低くなった。低くなった分、地方にもいろんな考えの人が出てくる。そのうち、家と土地に対する定着観念が希薄な人が周りにいることさえ驚かなくなり、「三分前は過去」人間、こだわりを捨てた人ばかりが集まった社会になるんだろうか・・・・・。


                                          (青柳 剛)

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