□ 夜書く文章                                                  平成19年7月18日


 当たり前のことだが1日は24時間、そして、昼と夜が12時間ずつにきっちりと分かれているわけでない。今頃は夏至に近いから昼の時間が圧倒的に多い。冬至になれば夜ばかりだ。今日の話は昼間の思考と夜の思考とでは違ってくるという話である。夜中に喧々諤々の議論をした結果も明るくなった昼間にもう一度考え直してみると、大した結論になっていなかったという経験は誰にでもある。夜に思いついたアイデアも昼間になってみると、とても使えるデザインになっていない。1年のうちでも昼間が長い今の時期と夜のほうが断然長くなる12月近辺で考え出す結果はきっと大きく違ってくる。もっと言えば、感情が込められた思考が夜、そうでない思考をするのが昼の明るいうちと括ってみればかなりのことが理解できる。

 お礼状でも何でも手紙を書くのは昼と決めている。夜に書き出すとお礼状でさえ感情がこもりすぎ、あとで読み返すと気恥ずかしくなってくる。1日書斎にこもって文章を書く小説家でも夜に文章を書く小説家のことはあまり聞かない。みんな昼間の決められた時間に書いている。吉村昭はきちんと昼間に別棟の書斎で書いていたし、夜は自分の時間、概ね酒を飲んでいたそうだ。角田光代は、わざわざ自宅以外に書くスペースを持ち、そこに毎日出かけて文章を書いている。夜に文章を書けば朝まで使える時間がたくさんありそうな気がするが、気分がハイになるか落ち込むかどちらかだからまともな文章にならない。夜に書く文章は決められた型どおりの文章、レポートの類ならばきっと朝まで書いていてもおかしくならない。

 夜に図面を書きながら朝が白み出した頃の気分の高揚はなんともいえない気分を味う。どうでもいいことに反応する。もっと言えば笑いが止まらないような気分になってくる。ただひたすら単純作業の図面を書くか、模型をつくることぐらいしか手に付かない。きっと脳の中の抑制機能がまるっきし吹っ切れた状態になるからおかしくなる。そして、夏の夜と冬の夜では又違う。ざわざわどこかで音が聞こえるような気がいつもしている夏の夜はこのまま明けることがないような気分になり、考えることさえも開放的、興奮気味になる。それに対して、冬の夜は気持ちが引き締まる、一点に向かって真っ直ぐ生きていきたいようなくっきりした気分、考え方も攻撃的になる。冴え渡った夜の星と月がそうさせる。春夏秋冬、温度だけでなく夜は思考と共に微妙に違うのである。

 感情が込められた思考が夜、そうでない思考をするのが昼の明るいうちと括ってみる。一日の終わりに書くのは日記、日記も夜書く文章だから感情がこもりがちになる。夜に書くと興奮するから、思い切ったことも書いてしまう。朝になって読み返してみれば、自分の書いた文章にさえ恥ずかしい思いをする。自分らしからぬ文章になる。そして、今頃は断然昼が長くて夜が短い、冬になればその逆になる。1年のうちでも昼の長い今と夜の長い冬ではきっと差が出ている。文章は、夜に考えたことでももう一度昼間に読み直して書き直す。「夜書く文章」をそのまま出すわけにはいかない、意味の通った感心するほどのいい文章は「昼書く文章」である。そう思って読んでみれば作家の生活スタイルまで文章の中から見えてくる。


                                          (青柳 剛)

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