□ 物忘れ 嫌な思い出 消えていく                                                      平成19年9月25日


 電話の短縮機能が悪い、記憶力を衰えさせる。社内の電話が短縮機能付きになったのは、もう「ずーっと」昔のことだったが、そのときでさえ一切短縮機能は使わなかった。電話をかけるたびに、ひとつひとつ相手の番号を確認しながらかけていた。便利な短縮機能を使えば相当楽だったが、毎回確認しながらかけることによって相手の電話番号は大体間違えることなく覚えていた。それがひとつの自慢だった。最近は誰もが持っている携帯電話、携帯電話の短縮機能の便利さはもちろんのこと、すべての受発信の機能は本当に楽になった。便利で楽になったのはいいが、いつの間にか相手の電話番号はもう殆ど覚えていない。こんなところから始まって記憶力はどんどん衰えていく。それでなくても物忘れの激しくなる年齢になってきたのだから、きちんと鍛えなければあっという間に記憶力はなくなってしまう。

 先日、NHKの衛星放送でディズニー映画「ダイナソー」が放映された。夏休み企画・恐竜の物語だが、実写も合成したCGが素晴らしそうだ、CMが入らないからじっくり楽しめると思って夕方から期待して待っていた。巨大隕石が落ちるシーンから始まり、90分ぐらいの映画だったが見始めて30分ぐらい経ったらその次のストーリー展開が分かる、「あれっ?なんか変だ!」と思いながらも観ているともっと細かくストーリーがどんどん見えてくる。ようやく気づいたのは半分以上観たもう仕舞い際だった。映画館で上映されてすぐに観た映画だったのである。一度観た映画であることを忘れていたのも辛いが、30分ぐらい観てから気づき出したのもかなり切ない。まだ数年前なのに、どこの映画館で観たのかも思い出せずに一苦労、あれこれ弱々しい記憶をたどり、手繰り寄せながらようやく記憶の焦点が定まった。観客は、それこそ4,5人、ギシギシ音のする椅子に座って、コーラ片手に裏寂しい映画館で観たのを思い出した。

 記憶について書かれている文章はいろいろあるが、昨年12月に出版された吉村昭の遺稿短編集「死顔」の冒頭、「ひとすじの煙」に書いてある文章に納得するものは多い。「・・・脳は容量の定まった容器のようなもので、そこに経験したことが記憶として流入してきて貯えられる。歳月の経過と共に記憶の量は増して、やがて定量に達する。さらに新しい記憶が流れ込んでくるが、器は容量一杯になっているので、それらは上部のふちを越えて流れ出る。高齢に達して人名などの固有名詞が思い出せず、いわゆる物忘れの傾向が現れるが、それは器からこぼれ出た新しい記憶に限られる。容器に貯えられている過去の記憶は、そのまま器の下部に沈殿して、忘れてしかるべき遠く過ぎ去った幼少期などの記憶は鮮明に残されている。・・・」、確かに昔話をくどいように話す年寄りは誰の傍にも居るし、最近92歳を超えた母はそれこそ話しながら話した言葉を忘れていく状態であっても、子供の頃のことだけは覚えている。

 「物忘れ 嫌な思い出 消えていく」(草加市 河野隆)、8月の週刊文春の健康川柳に載っていた。この川柳通りになれば、それこそストレスもなくなって健康になりそうな気もするが、なかなかそうはならない。「物忘れ」しだした途端に良いことも悪かったことも同じ頻度できっと忘れていく。忘れたことにストレスが溜まる。「ダイナソー」の映画のこともそうだが、最近何冊同じ本を買ってきたことか、読み出したら「あれっ?この前読んだ!」とがっかりした事は何度もある。記憶力は歳と共にどんどん衰える、鍛えなければもっと加速する。世の中、便利になり過ぎると記憶力から駄目になる。かといって、今更、携帯電話のダイアルをひとつひとつ押す気にもならないから、衰えそうな記憶力と戦いながらひとつひとつ文章を書いている。


                                          (青柳 剛)

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