どんなジャンルにおいてもそうだが、まとめあげる構成力が求められる。頭の中で構成されたものを自分の言葉に置き換え、かたちとなって発信する。特に建築設計の分野では強く求められる。生産技術、経済性、時代背景、計画地固有の性格、その他にもちろん建築主の要望、いろんな要素を総合的にまとめあげなければならない。全体を見ずに部分だけを考えていればなかなかうまくまとまらない。建築家栗生明(1947〜)が発揮する構成力は類まれなものがある。与えられた条件の中でいつも提示してくる計画案はスピーディに結果を出してくるし、そのうえ間違いなく優等生的な解決策が出てくる。デザインの質といい、考え方なり、このあたりが数多い早稲田大学の建築学科卒業生の中でいつもリーダー的な存在として活躍している所以である。
桐生・相生県営第一住宅は、95年に竣工した。市道で分断されている2つの区画を四角と三角の中庭を持つ住戸のブロックで構成した集合住宅である。栗生明は、初めての本格的な集合住宅の実施設計にあたってそのもてる能力を最大限に発揮した。集合住宅のデザインの面白さは、複合されるデザイン要素の組み合わせであり、繰り返され、集合するかたちの表現にある。2つのブロックは3階部分の屋上で回遊路として繋がれ一体感を出し、加えてピロティ、切妻の階段室、青く塗られたブリッジと自立する壁が都市における街路の雰囲気を漂わせている。四角と三角の中庭に配置された丸型の自転車置き場、シンボルツリーが乗ったごみ置き場、受水槽・ポンプ室など、中庭の遊具、照明装置としての役割を果たしている。
翌年、植村直己冒険館で栗生明は日本建築学会作品賞を受賞した。私と同じ穂積信夫研究室出身だがその中でも最初の学会賞受賞者となった。その後、宇治の平等院鳳翔館で日本芸術院賞、昨年は長崎の国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館で村野藤吾賞と次々に受賞し、建築家としての地位を確実なものにした。どんなものでも吸収し構成していく能力に長けた建築家だが、直接的に影響を与えた建築家は、寡作であるが岩手の田野畑中学校・埼玉の早稲田本庄高等学院を設計した穂積信夫とアトリエを独立する前に在籍した槙文彦である。どちらもシャープな品格のある正統モダニズム建築を作り出す日本を代表する建築家である。
「自由な個人を前提にしたうえで、集まって住む利点を探り、その楽しさを空間化する試みはまだまだ不十分である。家々の周辺は、子供の遊び場であり、老人のたまり場、主婦の立ち話の場でもある。生活の場はそのまま地域の教室であり、劇場でもある。こうして考えると、集合住宅は都市そのものとしてデザインされる必要がある」、相生県営第一住宅を新建築(96年4月号)に発表したときの設計要旨の抜粋である。集合住宅という複合された要素をまとめあげる構成力を発揮するには格好の舞台だった。繰り返されるデザイン要素とちりばめられた広場としての装置の数々、そして建物全体に覆われた肌色の外壁と青色の変化に富んだ壁、そこには都市における発見性・意外性がある。
(青柳 剛)
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