日本では昔から季節の変わり目を楽しむ考え方があった。秋の「虫の声」は日本人の感情に訴えかけるものが強い。ネット上で調べてみれば、大阪では淀川沿いで「鳴く虫のコーラスを聴く夕べ」が開催され、滋賀県彦根城にある大名庭園の玄宮園では「玄宮園で虫の音を聞く会」が開かれるなど各地で秋の「虫の声」を楽しむイベントがいくつも引き出されてくる。誰もが歌った童謡「虫の声」に出てくるマツムシは「チンチロ チンチロ チンチロリン」、スズムシは「リンリン リンリン リーンリン」、コオロギは「キリキリ キリキリ」、クツワムシは「ガチャガチャ ガチャガチャ」、ウマオイは「スイッチョン スイッチョン」と鳴き、この童謡を覚えた小さい頃から、秋の「虫の声」は風情のあるものとして感じる下地がつくられてきた。
今年はようやく9月の末になってから秋の虫が鳴き出した。「暑さ寒さも彼岸まで」どころか、「暑さ寒さも彼岸過ぎまで」に日本の陽気は変わってしまった。区切りの余韻がなくなった。それどころか10月になったら一気に寒くなった、10月になったらもう11月末の肌寒さだという。日本は四季折々の節目がはっきりしていることが特徴だったし、移り行く季節の変わり目の風情を日本人は楽しんできた。変わり目の風情を楽しむ余裕があった。年初めの雪は殆ど降らないで終わり、春の桜はいつまでも散りきれないで残っていた、そして夏の猛烈な暑さは衰えることなく続いた。後は夏を惜しみながら秋の来ることの楽しみが残されていたが、季節の変わり目の切なさを奏でる「虫の声」も本当に短い期間しか楽しむことなく終わってしまいそうな雰囲気が漂いだしている。
秋の「虫の声」といえば、強烈な印象となって残っている光景がある。高校生の頃だった。父は農家の出身だった所為もあるのか、考え方も趣味も泥臭かった。尺八、詩吟、謡曲、書、そして魚釣りとか生き物を飼ったりすることが好きだった。夏の終わりにはどこからか手に入れてきたスズムシを毎年飼っていた。家の玄関の内側にスズムシの箱をおいて、それこそ宵のうちは家の中にスズムシの音色が響き渡っていた。そのスズムシを「箱ごとどこかに捨てて来て!」と母が父にきつく言っている。何を言っているのかと思って聞いていると、母の父に対する口調はますます高まり、最後は収拾が付かなくなって、とうとう父はスズムシを箱ごと外に出し、翌日には跡形もなくどこかに片付けてしまった。言い出したら聞かない母の性格もあったが、夏休みが終わって子供たちがみんな東京に帰ってしまう切ない気持ちを一層掻き立てたのが、秋のスズムシの声だったのだと思う。
日本では昔から「虫の声」を楽しむ考え方があった。「夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこおろぎ鳴くも」(しのに・・・しっとり濡れて、しみじみした気分で)と万葉集にも「虫の声」は詠まれている。日本人だけが古代から「虫の声」に感情を込め、「虫の声」を愛でる感覚があると指摘したのは1980年代、東京医科歯科大学の角田忠信教授だった。日本人とポリネシア人だけが「虫の声」に反応し、西洋人はもちろん中国人や韓国人でさえ「虫の声」に反応を見せないという。「虫の音」を脳の右脳と左脳のどちらで聞くかによってその差は出てくる、日本人は左脳の言語脳で「虫の音」を聞くから感情を込めた「虫の声」となる。右脳の音楽脳で聞く外国人にとってはただ単に雑音、「虫の音」としか入ってこない。母がスズムシの鳴き声のもつ悲しさを自分の子供たちが遠くに行ってしまいそうな不安感と重ね合わせた気持ちもよく分かる。今年は急速に秋が深まりだした、秋の夜長を「虫の声」で楽しむ風情もなくなってしまいそうだ、後は深まりゆく晩秋の澄んだ青空に映えるくっきりとした紅葉を見ることが出来るかどうかだ。(参考:日本語がつくる脳、伊勢雅臣)
(青柳 剛)
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