□ わるいやつら                                                                      平成20年2月25日


 本物の「わるいやつら」は身の回りにいる。映像で学習しても何にも役に立たない。いくら名演技で「わるいやつら」を演じても現実のそれとは違う。小説の「わるいやつら」は松本清張の題名、1960年から61年にかけて「週刊新潮」に連載された小説である。去年の1月の19日から3月9日まで3度目のテレビドラマとして放映されていた。看護師寺島豊美(寺島とよ)の役は最初の映画が宮下順子、その次からのテレビドラマがちあきなおみ、藤真利子と続き、今回は米倉涼子が演じていた。愛人2人を持つ病院長を取り巻く愛憎劇だが、「わるいやつら」が沢山出てくる。それでも所詮画面に出てくる「わるいやつら」は俳優が演じる「わるいやつら」、現実に事件を起こしそうな「わるいやつら」とはどこか顔つきが違う。本物の「わるいやつら」は身の回りにいる、しっかり見分けなければならない。

 企業を経営しているとこの辺の見分け方が重要になってくる。いろいろな経験をしてきたし、いろいろな危うい人間にも出会ってきた。景気が一気に上りだしたり、逆に不景気になったりすると身の回りに「わるいやつら」が近寄ってくる。景気の浮き沈みがあまりないときは、不思議とそんなに「わるいやつら」は現れない。もちろん、はしっこかったり、意地っ張りだったり、嫉妬の挙句足を引っ張ったり、少しノロそうだったり、強欲だったりする人はどんな社会にもいるから「わるいやつら」とは言わない、正真正銘の「わるいやつら」とは違う。もうそれは3面記事に出てくるような「わるいやつら」のことを言っている。ゴルフ場ブームの時は「わるいやつら」のそんな話ばかりだったし、頓挫が眼に見えている架空のリゾートマンションの話などを持ち込んでくる「わるいやつら」の話は沢山あった。

 景気が落ち込んでくるとまた、正真正銘の「わるいやつら」が現れてくる。まさか凶悪事件を起こしそうな「わるいやつら」は流石に現れない、他人を騙す詐欺行為をする「わるいやつら」のことを言っている。話し巧みに寄ってくるから気をつけなければならない。見分け方もいくつかある。これはよく言われるが「わるいやつら」は先ず眼が泳いでいる。焦点が定まらないというか、いつも眼が動いていている。こんな眼つきを見たら先ずは要注意だ。その次に見るのが履いている靴、靴が異様に光っているやつは油断がならない。生活臭が消えている。3番目に気にしなくてはならないのが袖口から見えている時計だ、もうダイア入りの時計が袖口から覗けばあたりである。眼と足元と袖口の三拍子も揃った相手は眉に唾してかかって間違いがない。そのうえ、免税店のような臭いが身体から漂っていれば極め付きの「わるいやつら」である。

 顔は男の履歴書、歩んできた人生を表現する。女の人の顔のことを言っているが「自然は20歳の顔を与える。人生が30歳の顔を作る。40歳50歳の顔は自分次第」と語ったのはココ・シャネル。人を騙すことを繰り返してきた「わるいやつら」は顔つきに滲み出てくる、特に眼つきに出てくるという訳だ。いくら生まれつきの強面の悪人顔をしていてもそれは違う、本質的に「わるいやつら」ではないからだ。悪党党幹事長の浜田幸一も演技としての悪党だけだし、悪役の代表安岡力也も「わるいやつら」とは違う。今年も年明け早々から日本経済は不安定、これから先また「わるいやつら」が現れてきそうな雰囲気は漂いだしている。先ず確かめなければならないのは、飛びつきたくなるような美味しい話の裏に隠されている危うさ、眼つき、足元、袖口、それと臭い、3拍子か4拍子も揃っていればそんな話は遠ざけなければならない。言葉巧みに迫ってくる身の回りの「わるいやつら」、テレビの画面とは似て非なるものである。

                                          (青柳 剛)

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