□ じょんがら女節                                                                     平成20年3月10日


 疲労感の後のあの感覚だ。何も考えたくない、ただボーっとしていたい、それでも頭を使わずに本でも読んでいたい、そんな時に手にする本は、絶対に失敗しない強靭な肉体を持った狙撃手「ゴルゴ13」の漫画本だったり、普段あまり読まないただストーリーにだけ引き込まれる小説だったりする。考えなくても別の世界にあっという間に入り込める。2月半ば、連日通っていた氷点下マイナス13℃、粉雪舞う浅間山の麓の誰もいない別荘地を車で走っているときにエフエム放送から流れていたコンサートの案内である。長山洋子のコンサートのチケットがまだ残っているという。寒くて身体が萎縮していたからそんな気分になっていたのもあるが「聴きに行ってみるかあ」という気分になった。もうすぐ93歳になる母の1月半ばからの入院騒ぎ、緊張感と疲労感がようやく抜け出した時にいつもこういった衝動は沸いてくるのである。

 早速会場にチケットを申し込んだ。衝動が落ち込まないうちに行動に移すべきだ。そしてチケットは2枚、考えてみれば男が1人で長山洋子のコンサートを聴きに行くのはなんか侘し過ぎる。歌う歌も演歌、惚れたふられた怨みつらみの重い詩ばかりだから、背中を丸めて会場を後にする姿を考えただけで寂しくなる。かといって、男2人ではもっと変な組み合わせになる。洋子病の「追っかけ」になってしまう。こういうときに持つべきものはいつもの女友達、余程の事情がない限り一緒に行ってくれる、ありがたい。どんな観客がいるのか分からないマッスルミュージカルも一緒に行ってくれた。「筋肉切れてる!切れてる!」とあちこちから掛け声まで入るボディビルディングの大会でさえ付き合ってくれた。1人侘しく夕飯になりそうな時も出てきて一緒に食べてくれた。コンサート当日まであと2週間、そんなにいい席は期待できようもなく、端のほうの席、2枚のチケットを手に入れた。

 長山洋子、アイドルから演歌に切り替えて丁度15周年の全国ツアーのひとつの公演だという。どんな観客が来るのかと気にしながら会場に着いてみれば、予想通りの人達でいっぱいだった。一緒に行った女友達は、年齢から雰囲気まで会場の中で浮いている。予想通りといえば、ここで選挙演説でもやれば何も疑うことなく真剣に聞いてくれそうなあの雰囲気の人達ばかりのことをいう。きっと日本の地方をしっかり支えている人達だ。後ろの席からは「ヘルパーさんに頼んだ!」とか年寄りの話題が聞こえてくる、騒々しいマッスルミュージカルとは違う。オープニングから静かな拍手は鳴り止まないし、舞台の上の長山洋子の歌声はもちろん、長山洋子の喋りにもしぐさに素直に反応する。会場からは感心するため息まで聞こえてくる。分かりやすい舞台演出と分かりやすい歌、それに分かりやすく反応する観客と一体になったコンサートは癒し、ストレスのない1時間40分を過ごすことができた。

 長山洋子といっても知っている曲は数えるぐらいしかない。津軽三味線を持って歌う「じょんから女節」ぐらいだ。「バチの乱れは、気の乱れ〜♪別れ言葉は言わせない〜♪深みにはまった女の弱み〜♪男心は風より軽い〜♪」細い身体で丁寧に歌唱力豊かに歌う姿にテレビを見ては感心していた。演歌は滅多に聴かないし、聴いても気が重くなるだけだが、別格に気にしているのが長山洋子と八代亜紀なのである。この2人が出てくるとその場面だけを見ながら聴き惚れている。画面と違ってやはり眼の前で見ることが出来れば素直に感動する。それこそさらさらの粉雪が舞い散る浅間山の麓で急に思いついた「長山洋子のコンサート」、初めての演歌体験だったが、1月半ばからのひょっとしたら抜け出ることが出来なくなるような不安感でいっぱいだった母の看病というか介護に疲れた身体には異次元の心地いい空間だった。

                                          (青柳 剛)

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