□ 中性化する都市・東京                                                                 平成20年4月28日


 日本で最初の超高層ビル、「霞ヶ関ビル」が竣工して今年が40周年だそうだ。時代は変わったというか、特に東京はこの40年間で大きく変わった。先週もしばらくぶりに赤坂のホテルに泊まって、窓越しから開業5周年の「六本木ヒルズ」を探そうとしてもなかなか見つけることが出来ない。それだけ赤坂から六本木までの間に超高層の建築が数多く建ったということだが、ようやくいくつかの高層建築の間から見つけることが出来た。4月24日号の「週刊新潮」の「霞ヶ関ビル」周辺の今と40年前、「霞ヶ関ビル」から見渡す今と40年前、この4枚の写真から東京の激しく変わった姿を改めて確認することが出来る。東京の都市風景は変わった。中でもこの数年は東京駅の周辺の変化が激しい。東京に着き、足がかりとなる拠点が東京駅だが、その変わり様は眼を見張るばかりである。今日の話はその変わり方をもう少し掘り下げて考えてみようという話である。

 東京の変遷を建築に視点を当ててザーッとなぞってみると、「霞ヶ関ビル」が誕生した60年代は高度成長期、東京オリンピックで「国立代々木競技場」などが完成し新幹線、首都高速道路が都心にはり巡らされた時期だった。その後、70年代から80年代半ばにかけて「代官山ヒルサイドテラス」、青山の「フロムファーストビル」などオシャレな雰囲気の漂う街並みが現れだした。90年代の東京、極端な表現をすれば何でもありと勘違いするようなバブル隆盛に向かって、その象徴としての新宿「東京都庁舎」が竣工した。やがて、バブル崩壊と共に建築も街並みも作り出す意欲が崩壊、変化を促すような建築はしばらく建てられることはなかった。そして迎えた新世紀、「六本木ヒルズ」や青山の「プラダビル」・「新丸ビル」・「品川・汐留の超高層群」・「東京ミッドタウン」・「赤坂サカス」と失われた90年代のまさに反動、都市全体を巻き込むような大規模な建築が次々と建てられ、東京の姿が一変しだしたのである。

東京駅周辺が急速に変わりだしたのは「新丸ビル」がオープンしてからである。「新丸ビル」の向かい側の「オアゾ」から始まって東京駅を中心に八重洲側にかけて高層ビルが林立しだした。02年には高級ホテル「フォーシーズンズホテル」が入った「パシフィック・センチュリー・プレイス」、昨年は「東京駅大丸」が移転した「グラントウキョウ・ノース&サウスタワー」がオープンした。駅を中心に一気にお洒落な雰囲気が漂いだした。ここで面白い変わり方だと感じるのは、東京駅の丸の内側と八重洲側の雰囲気がいつの間にか同じ雰囲気に変わりつつあるということである。丸の内側はどちらかというと皇居に向かっていることもあるが駅の正面口、それに較べて八重洲側は駅裏の雰囲気が漂っていた。丸の内側はスーツをしっかり着こなしたビジネスマンが颯爽と歩き、仲通りのコンバージョンされたブランドショップストリートには生活感の消えた高級感が漂う。一方、八重洲側は、王様のアイデア・ラーメン横丁・安いワイシャツの店・懐かしいナポリタンのスパッゲッティーの店・晩酌セットのある和定食の店・・・・、と地方都市の延長線上にあるどこかホッとする気分で歩くことが出来たのである。

 八重洲の地下街、急速に改装工事が進んでいる。オープンしたところから洒落た店になってきた。この勢いだと丸の内と八重洲の雰囲気はきっとそのうち同化していく。それまで八重洲らしいと思っていた店舗も消えていく。丸の内と八重洲の中間地点にあった暗いイメージの地下の待ち合わせ場所「銀の鈴」、あっという間に雰囲気までもが変わってしまった。パン屋にケーキ屋、日本酒のショットバーまである。都市は表と裏があるから楽しかったし、落ち着けた。ごった煮に混在化するものがあるからこそ発見もあるし、気も抜ける。一言で言い表せば「白」、というかモノトーンの内外装で街が出来上がっていく。この辺の予兆は70年代あたりの建築とファッション界との融合から原点を読み取ることが出来る。東京に着き、足がかりとなる拠点の東京駅周辺、オシャレ感覚な街並みで覆い尽くされる。東京の都市風景はまだまだ変わる。そしてそのうち、まさか全部がそうなるとは思えないが、東京のどこに行っても似たような街並みが出来てきそうな気になってくる。臭いの消えた「中性化する都市・東京」に向かっていることだけは確かである。

                                          (青柳 剛)

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