ちょうど昼時ということもあったのだろうが、トレーニングを終えジムを出ると、吹き抜けになったビルの中に焦げたしょうゆの味が漂っている、この臭いに惹きつけられた。昔どこかで嗅いだことのある臭いの所為だと思ったが、思い出してみるとそれは懐かしい「焼き饅頭」の臭いだった。トレーニング後の空腹感の中、いても立ってもいられない、昔食べた「焼き饅頭」を今すぐにでも食べたい気持ちを抑えることが出来ない。それこそ何年ぶりだったかと思うが、そのまま、その足で街中の小さな「焼き饅頭」屋、4個串刺しにした「焼き饅頭」を5本、炭火で焼いてもらって家に持ち帰ってきた。包装紙を外すと中は経木、包まれた経木を外すと、こんがり焼きあがった饅頭からは湯気が出そうになっている。「焼き饅頭」にはなぜかほうじ茶が合う、熱いほうじ茶を炒れ、あっという間に5本の「焼き饅頭」を全部食べきってしまった。ようやく、ビルの中で突然湧き上がった昔懐かしい「焼き饅頭」への衝動が収まったのである。
そう言えば、ラーメンも急に食べたくなる。ラーメンのほうが「焼き饅頭」より頻度は高い。これも食べたいと思ったら、食べずにいられない。ラーメンは塩分過多のデブの素と思って信じて疑わないから滅多に食べないが、食べるときは躊躇いもどこかに消えた衝動食いになる。デブになっても、塩分摂りすぎになっても、もういい、と思うほど食べたくなる。そして、衝動食いになるラーメンはいつも決まって醤油ラーメン、味噌ラーメン・塩ラーメンはこうならない。なんといっても醤油の濃い色が目の前にちらつきだし、舌の先からは醤油のしょっぱさが恋しくなり、啜り上げ、喉を通る麺の感触が頭の中を駆け巡りだす。「焼き饅頭」と違って、じわじわと沸くように起こるラーメンへの衝動だが、ただ食べるだけでは満足しない、もうひとつ重ならないとラーメンへの欲求は消え去らない。それはラーメン屋の雰囲気なのである。ギトギト脂ぎった感じのあのラーメン屋らしいラーメン屋で食べると「ラーメンを食べた!」という満足感でいっぱいになる。不思議なものである。
海外旅行に行って幾日か経つと恋しくなるのは、もちろん日本の味、それでも折角海外に来たのだから和食は変だと思って「じーっ」と我慢していつも食べないようにしている。その国の食事を味わうのがいい、帰ってきたときの日本の味が格別になるから我慢する。いつもその国の食事を味わうだけで終わるが、ロンドン、コペンハーゲン、ヘルシンキと回ったときは最後に日本食を食べることになった。10日間ということもあったが、ヘルシンキに着いて「日本食の小さな店がありますよ」とガイドの人に教えられ、夕方坂道を登ってその店に訪れたら、一緒に行ったグループが三々五々集まりだしてきた。それぞれ注文した品を見ていると、冷奴に納豆にほうれん草のおひたしに焼き魚などなど、それに醤油をたっぷりとかけながら食べている。ヘルシンキまでは、朝食は別にしてランチ、ディナーと稀に見る味にこだわった旅をしてきたと思っていたのに、日本食にこの上ないような満足そうな顔をして食べている。そういえば、日本に帰ってきて真っ先に食べたのが立ち食い蕎麦だったという経験も多いが、あれも醤油味の蕎麦汁に焦がれていたのである。
ある日ある時、思い出したように、いても立ってもいられないように食べたくなる「焼き饅頭」とラーメン、どちらも高級食材ではなく、B級グルメである。だから、高級ホテルとか中華料理店で食べるラーメンではいまひとつピンとこない、でかい缶から胡椒をそのままふりかけ、無愛想な店員がいそうなB級グルメに相応しい店で食べるのがうまい。そういえば、東京にいる弟はたまに帰ってきては、「焼き饅頭」を食べている。きっと、昔食べた味が忘れられないから独りで買いに行っている。「焼き饅頭」から始まってどうしても急に食べたくなる食べ物に共通しているのが醤油の味、醤油の味に恋焦がれている。こだわり続けてきた食事の後の冷奴と納豆とほうれん草と焼き魚にたっぷりとかけていた醤油、「醤油の味」こそ日本人にとっては究極の「忘れられない味」、「焼き饅頭」をあっという間に5本も食べてしまった腹をさすっている。(青柳 剛)
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