□ 老け顔                                                                            平成21年2月23日


 歳をとった所為かも知れないが、このところ自分の顔が気になる。出来れば歳相応よりもいつも若く見られたいと思うから気になるのである。それでなくても顔のつやはなくなってくるし、張りはなくなってきた。ほうっておけば年齢よりも老けて見えてしまう、かといってカロリーを摂りすぎれば、顔の張りがパンパンになったりすればもっとみっともない、飲みすぎ食べ過ぎのだらしない飽食の生活が顔に出てきてしまうのである。逆に皴だらけになればもっと年寄り臭くなってしまう。それでも 一日のうちで自分の顔を見るのは、朝、顔を洗う時と1日何回かの歯を磨く時と入浴時、その他には服装のチェックと手洗いの時にチラッと見るときぐらい、後は車に乗っているとか偶然に鏡に映った時ぐらいしか顔を見ない。目の前に気になる自分の顔がないから毎日を平静な気分で送ることが出来るのである。

 それにでかい顔で眼の下には皺がある。疲れてくれば眼の下のクマがすぐに浮き上がってくる。どう見ても今風のお洒落なすっきり顔ではない。顎の線もはっきりしていない、油断をするとたるみ顔になる。目の前にいつも見えないから大丈夫と思っていても、気にしなければならないのは写真顔である。固定されてそのまま残っていくから気を使う。気を使わなければ鏡に映るそのままの写真が出来上がってしまう。特に新聞、雑誌に載せる顔写真はこだわっている。どうこだわっているかというと、出来るだけ正面からの写真を遠慮する、少し左斜め上から撮ってもらうようにしているのである。こうにすれば顎の線も少しはくっきりと出るし、顔全体のメリハリがはっきりしてくるのである。顔半分も少しだけ陰影が付くから、でかい顔も何とか間延びしなくて済むのである。

 写真よりも気になるのはテレビ映り、去年、一昨年、その前の年とテレビに映っていた。去年がスタジオ、その前が街頭、その前が収録インタビューだった。どれも映っていた時間は4〜5分、喋りもあったからどんな顔で映っていたかが気になるところだった。最初のインタビューはちょっとした台本もあったし、撮影場所と撮影方法も注文できたから良く撮れていた。その次は銀座の街頭、準備がないから仕上がりが気になったが、日差しも良かったから映りは良かった。それに較べて、去年の生放送の映りはひどかった。生放送の緊張感もあったのだが、何しろ雰囲気が暗い、暗い顔が画面いっぱいに映し出されている。放映後の感想はみな同じ「老け顔」、話をした中身よりも、急になった「老け顔」に見ていた知り合いの注目が集まったのである。

 思い当たることといえば、前の晩、新橋で気を使う宴会をしていたのも不味かった。疲れが顔ににじみ出た。その前の1ヵ月間の疲労もたまっていた。それにしても1年間ごとのテレビ画面でこんなに変わるのも珍しい。前の年の映像は、溌剌そのもの、元気そうだった。よくよく考えてみれば一年でこんなに変わったのは、体調が悪いわけでもないから、筋トレの所為ではないかと思うようになってきた。1年で変わったことといえば、有酸素運動を多く取り入れた筋トレぐらいしか思い当たらない。痩せれば皺も出来る。若さを保つ筈の水分をみっちり取りながらの有酸素運動もこんなところにマイナスの効果が現れる。1日のうちでも自分の顔を見る時間は少ない、それでも短いながらも長い年月をかけて「ずーっ」と付き合ってきた自分の顔、あれこれ考えてもしょうがない、でかい「老け顔」をチラチラ眺めながら生きている。(青柳 剛)

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