□ 階段型とエレベーター型                                                             平成21年4月13日


 誰がどう見ても学生時代の作品は、デザインの質は稚拙であっても、エネルギッシュだった。建築の学び方には、コツコツと階段を上るように独りで建築の知識をアカデミックに吸収していく階段タイプと、他人を巻き込みながらがむしゃらにエレベーターを駆け上るように建築の知識を吸収していくエレベータータイプと、ふた通りある。とりわけエレベーター型のタイプは、最初に出会った先輩の影響が大きい。それこそ、偶然出会った1年上の先輩が、がむしゃらなエレベーター型だった。入学する前から建築学科の建築デザインと決めていたから、エレベーター型の先輩に出会って、貪欲な吸収力に一気に拍車がかかったのである。学部の4年間と大学院の2年間、エレベーター型の学生生活を送ったことになる。

 先輩のアパートに出かけてみたら、そこは何も知らない知識欲旺盛だった私にとって、建築情報の宝庫だった。建築家の名前は、国内外を問わずに飛び交っている、あっという間に頭でっかちの建築大好き人間が出来上がった。図面もすごい。B−0版のケント紙3枚屏風綴じ、P・ルドルフタッチの断面パースが隙間もなく1本1本ロットリングで描き込まれているエネルギーに驚かされた。立面図の空は6ミリの太さのロットリングの赤で描き込まれている。建築の図面は青図、もう少し進んでケント紙に書き込んであるか、せいぜい透視図ぐらいが着色と思っていた何も知らなかった私にとって驚きの連続だった。それ以来、何とかこんな図面を書きたい一心で殆ど毎日が先輩のアパートに入り浸りの生活が始まった。

 結局は、入り浸り生活の中で、先輩の3年生の課題全部と卒業設計を夢中になって手伝うことになったのである。卒業設計の図面は百枚、と3年生の後半に決めていた先輩のエネルギーには圧倒される。先輩の部屋の雰囲気を聞きつけて建築に興味のある仲間が出入りするようになり、グループの輪はどんどん広がっていった。建築のデザインは大学からでなく、先輩後輩のたての関係から学んでいく風潮がこの頃から一層強くなっていった。先輩の後を追うように自分自身の課題も卒業設計もほとんど同じことの繰り返し、がむしゃらなエレベーター型で一気に上り詰めるやり方で学部の4年間を終えたことになる。

 おそらくコツコツと階段タイプで建築に向かう人のほうがいつかはエレベーター型の人間を追い越すことになるが、何も考えずにただひたすらに建築に向かっていた6年間は貴重だった。もちろん、寝食を忘れた、たての関係の中で培われてきた人間関係は素晴らしいものがある。いつの間にか建築デザインと外れた人生を送るようになったが、教鞭を執っていたときも、経営者として社内に向かっている今も、業界団体の活動も、そして、地域の中でも、相変わらず、がむしゃらに他人を巻き込みながらエレベーター型の人生を送り続けている。出会った先輩の所為かと思っているが、最近はもともと持ち合わせた体質がそうしているのかもしれないとも思うようになって来た。稚拙であっても、がむしゃらな学生時代の1ページとの距離を測り続けて30年以上が経ってきたのである。(WA2009 Waseda Architecture 誌 3月25日刊 稲門建築会発行より転載 )(青柳 剛)

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