去年の春先には長山洋子のコンサートを聴きに行った。2月の雪が舞い散る中で急に思い立ったコンサートだった。凍える気持ちが「じょんから女節」の切ない雰囲気を求めていたのかもしれない。その後、夏にもコンサートに出かけた。お盆があけて最初の日曜日、品川「きゅりあん」で「ふきのとう」の細坪基佳のコンサートを聴きにいったのである。目的はただひとつ、昔流行ったデュオ・「ふきのとう」の「白い冬」を生の声で聞きたかったのである。これも急に思い立った。8月の最初の4〜5日、高熱にうなされた後の夏バテ気味、それが尾をひいていた所為もあるが、どうしても論理立てた思考が出来ないときに寝転がって読んでいた本が「反哲学入門」(新潮社刊)だった。著者木田元が生死をさまよう病気をしたときに、何故か浮かんできた曲が「ふきのとう」の「白い冬」だったというところを読んでいてどうしても聴きたくなったのである。死に直面したときに「白い冬」の詩とメロディーが浮かんでくるとは面白い。考えてみると、どうもこういった衝動的な動機でコンサートに出かけている。「思い立ったら何でもやってみよう、きっとそれなりに楽しい気分が味わえる」、あの感覚でコンサートに行っている。
今回は去年の2度に亘る衝動コンサートとは違う、きっちりと思い入れたっぷり、準備万端、期待が膨らむコンサートである。6月1日、井上陽水のコンサートに行ってきた。今年の春から「陽水デビュー40周年コンサート」を全国各地でやっている。どこのコンサート会場で聴くかを先ず悩んだ。こだわるのは会場からだ。出来れば毎日の生活圏でないほうがいい、新潟とか金沢、そういった地で聴ければ最高だと思っていた。聴き終わった後の余韻が見知らぬ街の雰囲気と共にきっと増幅される、そう思ってあちこち調べてみたが、チケットが売り切れだったりしてうまくいかない、結局は身近な会場のプレオーダーチケット販売を申し込んだ。陽水がデビューしたのは大学生の頃、建築のデザインに夢中になっていた時だった。荒井由美と陽水をセットでいつも聴きながら建築の図面を描いていた。世の中の雰囲気が少しお洒落、なんとなく透明感のある空気に変わりだしたのがこの頃だった。建築家伊藤豊雄の世代は森進一だったかもしれないが、我々の世代は陽水だった。地方出身者の都市に対するイメージが変わりだしたのも陽水の曲を聴きだしてからだった。そんな思い入れがあるから、身近でない、別世界の陽水のイメージを残しておきたい気持ちが見知らぬ地へのコンサート会場への気持ちを掻き立てたのである。
夕方、会場に着いてみると、聴衆は思ったとおりの50歳代が中心、それでも長山洋子の聴衆とは違う、どちらかといえば細坪基佳の時の聴衆だった。もちろん仕事の延長で出かけたが、ビジネススタイルというわけにいかない。しっかり途中で綿のジャケットに着替えた。この辺のこだわりも大切だ、一気に陽水モードに切り替えなければならない。プレチケット販売の時の席は、もちろん指定できない、いつも後ろの席だが今回は通路側だったのでゆったりと聴くことができる。開演とともに陽水が歌いだした曲は「Happy
Birthday」、その後「青空、ひとりきり」・「闇夜の国から」・「Make−up
Shadow」・「とまどうペリカン」・「海へ来なさい」・「帰れない二人」・「飾りじゃないのよ涙は」・「リバーサイドホテル」・「ジェラシー」・「自然に飾られて」・「ドレミのため息」・「クレイジーラブ」・「限りない欲望」・「氷の世界」・「最後のニュース」・「少年時代」と続き、アンコール曲は「Love
Rainbow」・「夢の中へ」・「いっそセレナーデ」で幕は閉じた。アップテンポの曲とバラードの組み合わせも聴衆を惹きつけた。代表曲「氷の世界」を歌い終わった後にハーモニカを会場の聴衆に投げてプレゼントしたり、曲の合間に淡々と喋る語り口もコンサートを盛り上げた。最後には会場も一体となり、「夢の中へ」では立ち上がって手拍子まではたいて楽しんだ。
陽水が当日歌った曲で、はじめて聴いたのが新曲「Love Rainbow」だけだった。ギターを持たないで歌う「氷の世界」も新しい発見だった。今回のコンサートは思い入れたっぷり、すべてにこだわった。コンサートが終わって対向車もない暗い夜道を走るといろいろな思いが浮かんでくる、きっと漆黒の闇がそうさせる。陽水の曲に惹かれたのは、言葉に物語性がなかったこと、もっと簡単に言えば、説明的な言葉でなかったから、新しさを感じたのである。シュールな何気ない言葉のつぎはぎが良かった。このあたりが変わり行く都市のイメージと共に、生活スタイル、考え方まで変えさせられるきっかけになったのである。日常的でない非日常的な地で陽水を聴くことが出来れば、それはそれで別の思いが増幅したかもしれないが、最後には会場と一体になった自分がそこにいた。暗い夜道を走りながら考えることといえば、40年間も手の届かないところにあったイメージとして膨らんでいた陽水が、自分の生活圏の中に眼の前に存在しているという不思議な感覚に満ち溢れていたことである。陽水の着ていた細い木綿のドレスシャツ、そのうちどこかで見つけたら買ってみようかという気にもなっている。一人歩きしていたイメージが、またひとつ現実のものとなって身に付いてくる。「限りない欲望」、満たされだしたときには、いつしか歳を重ねていた。(青柳 剛)
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