□ 「気負う文章」                                                                     平成21年6月29日


 文章は最初と最後が肝心、書きたい気持ちが最後までうまく表現できればいい文章になる、そう思って文章を書いている。何を書くかは急に浮かんでくる。それは、本を読んでいるときはもちろんだが、新幹線の中だったり、歩いているときだったり、音楽を聴いているときだったり、人と話しているときだったり、横になっているときだったりする。不思議なことに、机に向き合っているときには、そうはならない。思いついたときには、忘れないようにメモをすぐに取るわけだが、頭の中でストーリーはドンドン展開していく。机に向かうときは、それらのメモを引っ張り出す作業に関わるだけである。これだと思いつめた挙句に書き出す最初の文章は、思いのたけが込められた書き方になるし、力の入った、「気負う文章」になる。

 川の3部作「泥の河」・「蛍川」・「道頓堀川」を始めとして「流転の海」、「錦繍」、最近は「骸骨ビルの庭」など多作な小説家宮本輝の作家になろうと決意した話は面白い。サラリーマン生活をしているときに、立ち寄った書店で有名作家の短編小説を読みながら、「このぐらいで作家になれ、金も貰えるようになるんだったら自分でも」とその場で決意して会社を辞めて小説家の道を歩み始めたというエピソードは有名な話だ。その後、太宰治賞、芥川賞、吉川英治賞などを受賞して、作家としての地位を確立したわけだが、いつだったか、テレビで作家になりたての頃の文章の書き方を語っていた。ある作家・編集者に芥川賞をとりたいために自分の作品を持ち込み、批評を求めたときのことである。「何よりもここが良く書けている!」と自分で自信を持っていた冒頭の書き出し部分に、すべて朱でバツを入れられたという。「気に入っているここの文章が無くなってしまったら・・・」という憤りと衝撃は宮本輝にとって大きかった。

 こういった思いは、文章を書く人間にとっていつも付きまとう。3月末に出した自分のエッセイ集「銀色万年筆」でさえ、似たような展開になった。1年の締めくくりと思ってのんびり金沢に暮れから正月に出かけたときに、編集者から返ってきた校正ゲラを持ち込んだのがまずかった。空いた時間で原稿チェックをしようと思っていた。チェックをし出した時から、ホテルでゆっくり1年を振り返るなんていう気分には到底ならなかったのである。全体の流れもそうだが、訂正された原稿を読むたびに「どこか違う?」、「一字一句あれほど推敲しながら書いた文章なのに・・・」、「何でここが削除されてしまうんだろう?一番言いたいところなのに!」・・・、イライラしながら分厚い原稿と格闘する金沢行きだった。帰ってくるなり、長文の思いのたけを書き綴ったメールを編集者にぶつけることでようやく気持ちも少し落ち着いたのである。

 結局、その後何度かやり取りしながら本の形が見え出したわけだが、冷静になって全体を何度も読み返してみると、編集者の主張の方が的を得ているような気持ちになってきたのである。もちろん、「ここだけはどうしても譲れない!」と押し通すことはあったが、概ね編集通りに落ち着いた。簡単に言えば、本全体を読み終わって、書き手のメッセージが伝わることと、ひとつひとつのエッセイの中で完結することとの差であったような気がする。ひとつのエッセイの中に込められた文章を削られることの捨てがたさもあるが、それはそれで、捨てた後に見えてくるものが大きかった。もっと言えば、くどい言い回しはなくなったし、文章の危うさも消えていた。考えてみると、作家になりたての頃の宮本輝の話も、一番思い入れたっぷり、気に入っていた「気負う文章」を外して、その後に見えてくるものをもう1度練り直せば、もっと良い文章になることをあの作家・編集者は教えたのである。文章でなくとも最初の「気負い」を捨ててみる、すべてに亘って大事な教えなのかもしれない。(青柳 剛)

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