パワーポイントの説明資料を使うことによって、プレゼンテーション能力は格段に上がった。相手に話すときに画像、グラフを簡単に取り込めるから聞いていてわかりやすい。話す方の頭の中もストーリー仕立てが容易だからまとまりのある話し方になる。スライドの画像を準備したり、OHPのシートを写し出していた時代とは大きく様変わりした。それでも、パワーポイントの画像を使って話をするときは、画像を見ないで話を進めることがポイントだ。あくまで聞き手に向かって正面から話を進めることが基本、画像を見ながらの話だと聴衆に対して説得力に欠けてくる。大学で授業をしているときは黒板に板書、チョークまみれになって90分の講義を行っていた。書きながら自分の頭の中も整理されるし、学生のノートも取りやすくなるのである。
そういった意味で、学生時代に聞いていた建築家吉阪隆正の講義は抜群だった。いつも素朴な絵文字のようなものから話が始まっていた。例えば、「部分と全体」という永遠に尽きることのないテーマを「不連続統一体」として解釈をした集合論、空間論は有名な話だ。一言でまとめれば、個々が独立をしながら、一定の有機的なつながりを保ち、全体として統一のある集まりを形成していくという理論である。この理論を説明するために黒板に書く素朴な絵と図と文字の組み合わせが、楽しくわかりやすかった。その結果出来上がった図式は複雑、破線と実線が交差しながら平面であってもさまざまな読み取りが可能な絵となっていたのである。あくまでも既成の建築用語から話が始まらなかったことも理解度を高めるのに役立った。
黒板に板書ではないが、「書きながら話をする」同い年の知人がいる。話の中身はいつも参考になる話ばかりだ。2人で話をしだすと、先ず書きやすそうな万年筆を取り出す。何でも字を書き過ぎて中指が曲がっているから筆圧がかからなくてもスラスラ書くことのできる万年筆を選んでいるそうだ。太字の万年筆である。万年筆で書く紙は身近なものなら何でもいい、たまたまそれまで打ち合わせに使っていた紙の裏にでも、パンフレットの余白にでも話の中身を書き出していく。話をしながら確認作業を繰り返し書いている。「言っていることはこういうことですよね」と聞きながら、必ずといって良いほど簡単な模式図が入ってくる。2人の会話の中身がすれ違うこともない上に、その場で別の可能性までドンドン展開してくる面白い会話になるのである。
「書きながら話す」知人は優秀だし、なんといっても考え方がひとつのものに捉われることなくバランス感覚がいい。いつも何かの可能性を確かめながら思考している。周りの人に聞いてみると同じような答えが返ってくるし、人望も厚い。吉阪隆正が語った講義は、何十年も経っても、しっかりと講義の場面と一体になって脳裏に焼きついている。何も資料を準備しない話は、余程相手を惹きつける、分かりやすい話し方が求められるが、最近の綺麗に仕上がったプレゼンテーション用の資料を使った話も意外と印象に残らない。素朴であっても黒板の板書、万年筆を使い、考え方をまとめながら話す話し方から教えられるものは多い。眼で見て、耳で聞き、その上身体感覚の延長としての書かれた文字がその場限りの臨場感と共に記憶に残るのである。(青柳 剛)
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