『このごろはどうなのかわからないが、私が少年の頃、年の瀬になると、正月に帰省する家族の汽車の指定席切符を買うために、家の者が駅舎の中で徹夜をしていた。私の家では、それは母かお手伝いの役目だった。一度駅まで毛布と弁当を届けにいった記憶がある。何人かの人の列に並んで母が寝ずの番をしていた。大変だな、と子供ごころに思った。東京で就学していた長姉か、次姉の帰省のための切符だったのだろう。やがて切符が手に入ると、私や弟は切符が見たくて、母にせがんだものだった。当時の切符は今と違ってもっと厚くて硬いもので、手に取ると断裁した角から独特の紙の匂いがした。切符には区間の駅名が印刷され、細かい丁寧な文字で何かが手書きされていた。それはいかにも貴重品という感じで、威厳のようなものさえあった。・・・(中略)・・・寒風の駅舎で切符を得るために佇む人を辛いだろうと思っていたが、あの場所は幸福を待つ人の待合室だったのかもしれない』・・・先月号のJR東日本のトランヴェール、伊集院静の冒頭エッセイ「冬の駅舎」を読み、じ〜んとしながら故郷へ帰省した人は数多い。
今では自動販売機から出てくるペラペラの新幹線の切符しか目にしたことがない人にとっては考えられない光景である。そういえば昔を思い出せば同じような話、大学生の頃までだったと思うが、「チッキ」という鉄道手荷物取り扱い制度があった。普通の小荷物と異なる点は、乗客の手に余る重さ・大きさを運んでくれるわけだが、鉄道の乗車券が必要であった。乗車券とセットの手荷物である。小荷物の取り扱い駅に決められた時間に持っていって運んでもらったのである。しっかりと梱包し、紐を荷物に架ける手順まで決められ、確か3箇所だったと思うが針金のついた荷札を括りつけ、切符売り場に併設された窓口に持っていったものである。受付から見える窓越しには、山のようになった手荷物が積み上げられていた。大きな手荷物となった人はみんな割安感と共に「チッキ」を利用していたのである。その後は乗客乗車券とは関係なく鉄道小荷物が利用されるようになったが、やがて簡便な「宅配便」が登場するに当たっていつの間にか利用する人はいなくなってしまった。
人の移動もモノの移動も手間隙のかかる時代だったが、今頃の話題として面白い出来事があったことを思い出す。大学の4年生の頃だったと思うが、殆んど毎日徹夜の繰り返しのような状態で何人かの仲間と一緒になって建築の図面を描いていた。夜も12時を過ぎると腹が減る、コンビニもない時代だったから、昼間に買っておいたその当時売り出されたばかりのビニールのパックに入っていた餅を石油ストーブの上で焼いて食べることが、みんなの夜の楽しみだったのである。醤油をつけたり、砂糖をまぶしたり、たまには海苔を巻いて食べていた。そんなときに餅を食べながら、2学年下の新潟から来ていたI君が「これは餅の格好をしているけれど餅じゃない!新潟のコシヒカリ、本場の餅がどんなものかみんなに食べさせてやる、お袋に言って本当の餅を送ってもらう!」と言い出した。確かにビニールのパックの餅では餅らしくない、早速翌日、新潟の母親に電話をかけ、送ってもらうことを頼んだと言う。I君の父親は旧国鉄勤務、それからしばらくして鉄道小荷物でしっかりと包装された重たい荷物が届いた。もともと元気いっぱいの性格のI君が喜び勇んで荷物を丁寧に開け、中を覗いてみると、驚いたことに今まで食べていたビニールの餅と全く同じ餅が山のようにぎっしりと詰められていたのである。仲間もビニールの餅を見て大笑いしたのも悪かったが、それからしばらくの間、I君の落ち込みようはそれこそひどかった。
乗車率が年末年始の行き帰りで100%を超えるとニュースになっているが、あの頃は100%どころか200%の乗車率を越えていたのだろう。切符をあらかじめ買わないで乗れば、座るどころか、通路でさえ足の置き場所に困るほど混んでいた。徹夜をして並んで切符を買う意味もあったし、苦労して手に入れれば入れるほど、家族の帰省を待ちわびる気持ちも高まった。そして、「宅配便」のように荷物を簡便に送ることは出来なかった。丁寧に梱包され、送られてきた荷物と一緒になって「故郷からの贈り物」として「故郷からのこころ」まで送られていた。新潟の餅も笑える材料にはなったが、微笑ましい。考えてみれば、手作りの餅は新潟でさえそう簡単に手に入らない、友人の母親がおそらくあちこちの店を廻って買い揃えた気持ちが、腹をすかした若い仲間にはうれしく思えたものだった。東京まで新幹線で1時間余りのところに住んでいる、ともすれば1日で2往復ぐらい出来そうなスピード感のある時代になった。もう亡くなって10年近く経ったろうか、「大学生はそんなに急がなくてもいい、各駅停車で時間をかけて本を読んだり、考えたりする時間が大切なのよ」、親しくさせて頂いていた女性が2人の大学生の息子に敢えて新幹線を使わせなかったことの確かさがしみじみと思い出される12月号のトランヴェールだった。(青柳 剛)
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