2年前の1月に書いた文章が「変わらない男と変わる女」だった。身体も、考え方も、行動の仕方も、いつまで経っても変わらないのが男、それに較べて、体型どころか好みまで歳をとるたび、環境が変るたび、変わっていくのが女であると書いていた。異論はあろうが、確かに小さいときからの自分の性格はいつまで経っても変わらない。この間も「カツオかマグロみたいだなあ、いつも何かに向かって動いていないと気がすまない性格だ」と同い年の友人に指摘された。言われてみればその通りかもしれない。何かに向かってグルグル動いていないと落ち着かない性格は子供の時からのものだった。止まってしまえば落ち着かないのである。廻りの人を巻き込みながら動き続けている。そして、もう亡くなって10年近く経ってしまったが、歳が一回り以上も違う先輩に「いつも真ん中にいて何でも良いから何かを喋っていればいい、隅っこで黙っていても人はついてこない!真ん中だよ!真ん中で大きい声!」と念を押すように忠告をされたのも持ち前の性格を一層引き伸ばすことに拍車をかけたのである。
ところで、「カツオとマグロ」に加えて、早口である。声は低いが、これも昔から変わらない。最近書いている文章は、読んでいる人が「じ〜ん」と来るような文章を書きたいと思って題材を選んで書いていることもあると思われるのだが、話し方と文章の書き方の落差が大きいらしい。先日も挨拶を初めて聞いた人が傍に寄ってきて、「いつも文章を読んでいるのですが、もっとゆっくりしんみりと話す人だと思っていましたよ。文章と雰囲気が違いますねえ・・・」とボソボソ言われたことには驚いた。書き方と話し方は違う。考えている速度と同じか、それ以上の速度で言葉が出てくるから早口になってしまうこともあるが、「カツオとマグロ」の性格がそうさせると思ってそう外れていない。聞き手が聞きづらくなってしまうし、廻りもせわしなくなってしまうからこれは気をつけなくてはならないと思いながら、ゆっくりと話すようにいつも気にかけている。そういえば、大江健三郎も野阪昭如も話し方が早口、誰が聞いても聞きづらいのである。
この2ヶ月の間で3回会った、学部は違うがたまたま大学が同じ、山陰に住んでいる先輩の話し方が面白い。3回とも夜の酒の席だったが、2度目あたりから廻りに人がいても、2人でじっくりと話をする様になった。急速に親近感が沸き、話題も拡がるのである。この間、電話でのやり取りも頻繁にするようになった。話の中身が興味ある話題ばかりだが、一歩引いたような見方をするところで話の重みが増していく。その上、何と言っても、もの凄くゆっくりと話をするところが自分にはないものがある。ひと言、ひと言、確認をするような話し方には、読みの深さが伝わってくる。先日も長い電話になってしまったが、これからの残された人生の歩み方、若い時の様に元気良く前に進むか、それとものんびりじっくりと生きていくか、朝昼晩に揺れ動く気持ちの葛藤をゆっくりと語られたときには先輩の人柄まで電話を通して伝わってきたのである。ゆっくりとした話し方には、考え方までが落ち着いた考え方になると最近は気づきだしたのである。
子供のときの性格はそのまんま、いくつになっても変わらない。何かをしていないと気が済まない。どんなことでも見つけて、それに向かって夢中になっている性格は急には直りそうもない。餌を求めて、止まってしまえば駄目になってしまう「カツオとマグロ」に例えられた性格は良く言い当てている。後はそれに輪をかけた早口、何とかしなければと思っていてもなかなかそうならない。何百キロも離れたところに住んでいる最近知り合った先輩、「あと何回桜を見る・・・」と言いながら仲間と酒を飲んでいるそうだが、ゆっくりと話す話し方には惹かれるものがある。若いときから積み上げてきた先輩の経歴は素晴らしい。おそらくこういった話し方をしながら、いろいろな角度でもの事を深く考えてきたから日本を動かすような実績が後からついてきた。自分には持ち合わせていないもの、一層親近感が深まる。止まることを知らない「カツオとマグロ」は「回遊魚」、じーっと深く考えながら動き出す先輩はさしずめ「深海魚」、お互い住んでいる距離は離れていても考え方は益々近くなりそうだ。(青柳 剛)
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