何年続いているのかわからないが、毎年年末の恒例となっている週刊文春の「顔面相似形」特集は面白い。一瞬の特徴を捉えた写真だけの組み合わせだが、良く似た顔、相似形の特徴を良く表している。昨年暮れの特集は、政権交代もあって、初めて登場する政治家も含まれた特集が組まれていた。ここに来て、鳩山内閣は総辞職してしまったが、鳩山首相と大阪の茨木に設置されている茨木童子の石像に始まって、平野官房長官と詩人の三好達治、三宅雪子議員とスピードワゴンの小沢一敬、鳩山幸と松岡きっこ、フビライ・ハンと谷亮子などが相似形として載っていた。誰かに似ていると思っていたことが、ずばりそのものを言い当てていて、見返すたびに納得しながら笑いまで出てくる。もう何年も続いてきた歴史のある読者の投稿特集だから、その分レベルも上がっているが、年々その面白さに拍車がかかっている。
ところで人の顔が似ていることといえば、大学で研究室を持っていたときはもちろん、その後週に2回ほど非常勤講師として教えていた20年近くの間、毎年春先に感じていたことがあった。あの感覚は教える側の人間にとって、多少の程度の差はあれ、おそらく誰もが感じている感覚に違いない。4月の入学式で新しい学生を迎え、その前の3月には卒業生を送り出す。学校は、企業と違って、人がそっくり入れ替わっていくことを繰り返しているのだが、新しく入ってきた学生の顔つきどころか仕種まで、今までどこかで見たことのある、会ったことのあるタイプの人間に思えてならない感覚である。今まで出会ってきた経験に基づき、自分流に顔でタイプ分けされた学生は、その後の学生生活を送っていく中でも4月のタイプ分け通り、外れることは殆んどなかったのである。入れ替わる1学年70名の学生、週刊文春の顔面相似形ほどではないが、それぞれみんな誰かに似ていると思わせながら卒業していくのである。
もう少し踏み込んで言えば、顔つきや仕種も誰かに似ていたが、性格も殆んど見かけ通りに当たっていたことにはもっと驚かされた。特に、建築の設計は個人の性格がそのまま現れてくる。線を一本引くにも性格が影響する。気が弱くて最初の一本の線を引くのに躊躇う学生もいれば、どんどん思ったとおりに表現をしていく学生もいる。これはもって生まれた性格によるものであり、図面を引いている学生の脇で見ていると建築の設計は性格がそのままににじみ出てくる。コツコツタイプの理詰めの設計をする人もいれば、おおらかな開放的な設計をするタイプもいる、建築作品には性格が反映され易い。要は、顔つき仕種に加えて性格、この3つも予想通りなのである。外見と一緒になって性格まで誰かに似ていたとなってくると、人は、もうタイプ分けされ、今まで出会った人間の枠を超えることはないと確信に近いものまで生まれてくるのである。
よく見た顔の一瞬の特徴を捉えた週刊文春の「顔面相似形」特集だが、週刊誌どころか、身近に見ている人も誰かに似ている相似形の人ばかりだ。しかも外見が誰かに似ていると思っていたら、性格まで似ていた人にそっくりだったとなると、人と出会っても、もう同じような人しかいないと思って、そう外れることはない。「顔を見ればすべてがわかる、いやいや顔だけではわからない、顔だけで判断してはいけない・・・」、顔つきのことはいろいろなことを言われるが、結局は顔を見てすべてを判断することを繰り返している。今年の2月に出版された「世界権力者人物図鑑」(副島隆彦著 日本文芸社発行)、世界の権力者の顔写真ばかりだが、世界と日本を動かす支配者の動きがわかり易く解説してある。「人間の顔は真実を語る。世界の超大物たちの悪い顔にこそ味わいがある。これが私たちが生きている今の世界である」と締めくくっている言葉、この本から伝わってくるメッセージを簡潔に表現しているのである。(青柳 剛)
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