昨年の4月、私の書いた文章「あと何回、桜を見る・・・」を読んで、「あと何回見るんだろうとみんなで言い合いながら、花見をしているところです」と言って来たのは山陰地方に住む大学の先輩だった。彼は夏の参議院選の去就で悩んでいた。厳しい寒さの後、満開になった華やかな桜を見ながら、その年その年によって思いは異なることを人は繰り返す。どんなことがあっても毎年同じように咲く桜を見ながら考える。そして、会社の自分の部屋から見える桜は、それこそ素晴らしい。桜が幾重にも重なって遠くまで連なり、厚みを増し、あたり一面桜色になる。窓一面桜色になった風景を見ながら今年もいろいろなことを考えた。「桜色で心まで満開気分」になることは今までもありえなかったし、今後もあり得そうもないが、今年の新年度が明けた重たい気分との落差はいつになく激しい。東北の大震災の辛い気分が相当重くのしかかっている。加えてゴールデンウイーク近くまで散りきれないで残っていたことも一層拍車をかけた。
今年こそは、少しは満開の桜と同じような気分で迎えられるような気がしていた。建設産業は、昨年の秋口あたりからようやく見直しの論議が高まりだしていた。2年前の夏、「コンクリートから人へ」の政策から転換へと歩みだした動きである。国土交通省主導の「建設産業戦略会議」はその代表的な動きであり、建設産業の仕組みを見直し、地方の建設業の果たす役割をしっかりと浮き彫りにすることだった。参議院の自民・民主・公明党はもちろん、「みんなの党」まで含めた超党派の議員連盟は、建設産業に絡む制度すべてに亘って、根本から見直そうという画期的な強い意欲が漲った会議だった。九州宮崎の「130日に及ぶ口蹄疫との戦い」に果たした地方の建設業の役割、山陰・北陸などの豪雪に対する除雪、地方の建設業がこれ以上疲弊すれば地方そのものがおかしくなっていくという論点は的を得ていた。「災害対応空白地帯」が全国各地に存在するという(社)全国建設業協会の指摘は、NHKの「クローズアップ現代」にまで取り上げられていた。
ところが建設業すべてに亘ってもう一度見直すという動きは3月の11日を境に殆んど聞かれなくなった。なくなってしまったわけではないだろうが、それ以上に東北の大震災の対応に追われ続けているということだろう。何度も書いてきたが建設業にとって大事なことは大きな変化がないこと、上っていくにも下がっていくにも少しずつの変化ならば準備も出来るし、耐えられるということである。いきなりの変化は耐えられない状況になっていく。一品一品現地生産ゆえの特殊性はこんなところに現れる。大震災の影響というか変化の衝撃は、被災地はもちろん被被災地にまで幅広く及んでいく。3月11日以降、取り敢えず被災地以外の建設産業で出来ることといえば、先ずは「節電」そして「出来る限りの寄付」と「足手まといにならないタイミングでの復興支援」に「極端に萎縮しない」こと、あとはきちんと「本来の仕事をしっかりとする」こと、この5つにまとめられると震災以降に言い続けてきた。
東北の被災地の復旧・復興は何よりも優先課題だが、この機会に日本全体の防災能力の向上に眼を向けなければならない。そして急激な変化による景気に与える影響にも配慮する必要がある。11年度予算のうち、復興財源に充てる目的で公共事業費が一律5%留保となったことは、被災地以外で公共事業を担う建設業にとっては深刻なことである。そもそも今年度予算は前年度比5.1%減、昨年は18.3%の削減だったからこの2年間で合計3割近くが減る計算となる。このまま行けば今年の初めに指摘した「災害対応空白地帯」は、全国でどんどん拡がっていく。こんなときこそ地域建設業の果たす役割の重要性しっかりと発信していかなければならない。どんな変化があっても決まったように春は来て、桜は満開に咲く。桜がきれいに見えれば見えるほどいろいろなことを考える。今年の年度変わりは、先行き不透明な不安感で一杯になった。「あと何回、桜を見る・・・」と考えながら、来年の桜を見る気持ちを推し量っている。
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