「去年も同じ日に秋田と弘前に出かけた。今年もスケジュールを上手に調整すれば9月の14・15・16日の3連休にどこかに行けそうだ」と思い立ったのが8月末、早速計画を練りだした。秋の気配が漂い出した時期、気持ちの切り替えが季節の変化と共にきちんとできる、大事な時期の3連休だ。出かける際に選ぶ基準は都市のスケール、簡単に言えば歩いて楽しめる距離でその都市が構成されているか、歩ききれない距離は路面電車かバス移動で回れる利便性があれば申し分ない。都市がコンパクトに濃密になっていて楽しいし、歩けば歩くほど発見があるということだ。どんなに疲れてしまってもタクシーは使わない、レンタカーで回ってしまえばその都市の隅々まで回った気分になるが、スピード感と共にその都市の記憶まであっという間に消えて行ってしまう。どこに行こうか迷った末に決めたのが長崎行だった。
ところが「本州直撃予想の大型台風18号」と直前になったら台風情報、一抹の不安があったが、「九州ならば台風の進路と正反対だから大丈夫、帰るころにはもう台風も過ぎ去っている」と思い切って出かけてきた。ここで躊躇えばどこにも行けなくなる。朝一番の飛行機で長崎空港に降り立ったら、外はくらくらするほど暑い。気持ちは一気に夏気分。去年の秋田大舘と同じ感覚だ。過ぎ去った夏をもう一度味わえる。長崎駅前のホテルにチェックインを済ませて歩きだしたら、帽子、帽子がなければ頭が痛くなるほど暑い。駅ビルの「Papas」で帽子を買って歩き出した。長崎といえば、最初に向かう先は駅の反対側の坂を上って今井兼次が設計した西坂の「日本26聖人記念聖堂」、早稲田大で建築を学びたての時に何度もスライドの映像を見せられた建築である。これと千葉の「大多喜町役場」(今井兼次設計)から建築人生が始まった。汗まみれになって坂を上っていたら、「信者の方ですか?」と似たような年齢の日傘の女性に声をかけられた。この女性に、エントランスから誰もいない静かな聖堂の中まで丁寧に案内をして貰うことが出来た。
聖堂を出てからそのまま坂道沿いへ、こういったどこにでもありそうな住宅街の道を歩くのは楽しい。知らない街にやってきたという感覚を人気のない日常、静寂の中から味わうことが出来る。そうは言ってもいつまでも誰もいない道を歩き続けると飽きてくる。坂道を下りて電車通り、電車に乗って浦上天主堂まで、ここは人がたくさんいる。前を歩くのはショートパンツ姿の赤ワインを買い込んだ男性、3連休の雰囲気が全身に漂っている。こちらも浮き浮きした気分になってくる。土曜の午後の天主堂は、大勢の園児たち、何かと思えば幼稚園の先生の結婚式の真最中だった。天主堂の坂を下り、坂の中腹を横切る長崎大学前の通りを山王神社まで、この通りは最初に長崎にやってきた時に歩いた印象がそのままいつまでも記憶に残っている。歩きながら刻まれた感覚は何年経っても染みついて離れない。マンションが出来たり、家並みは随分と変わったのだろうが、緑が多くて気持ちのいい散歩道だ。
「夕食だけはきちんとしなければ」と思って出かける寸前に予約をしておいた。知らない土地で食事をまごつくと気持ちは落ち込む。「間違いのないのは和食」、最初の日はそう思って眼鏡橋近くの東古川町「絲屋」にした。ネットで選んだだけだったが、ここは良かった。料理は肴系のおまかせ、太刀魚などと工夫された季節の食材を使った創作料理だ。入り口が狭いというか小さくて、入るのに不安だったが、入ってみるとカウンター席は洒落た8席だけ。主人と話をすると築160年の町屋を改装したのだという。いい雰囲気だ。酒も主人にお任せというか、辛口の冷えた日本酒が主人好みで出されてきた。久しぶりの日本酒もうまい、目一杯冷えたシャブリも料理に合う。並んで同席した4人グループは五島出身の60代後半の同級生、男女それぞれ2人ずつ、久しぶりの再会らしい、指先には白と紺色のマニキュア、派手目で元気がいい。九州電力・三菱造船・熊本大学4年生の娘のことなど、長崎らしい話題で盛り上がっている。「もう一軒、カラオケ」と言いながら店を出て行った。いい組み合わせだ。
翌日は、「今度は飲み慣れた渋めの赤ワインがいい」と思って、思案橋のリーガロイヤルホテルの1階のイタリアン「夜光杯」、オープンキッチンまである。どちらかといえばフレンチだろうが、「サザエとつぶ貝の香草バター焼き」が美味かった。建築をいくつか見ておこうと2日目に路面電車を乗り継いで向かった先が吉阪隆正の「海星高校中央館」と栗生明の「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」と古市徹雄の「ピースミュージアム」、みんな早稲田建築。どこに出かけてもこうして建築を見ながら建築家のコンセプトと手の痕跡をなぞっている、建築を学んで良かったと思うひと時だ。もう一つの楽しみがランニング、最初の朝が海岸沿いを7.5キロ、その次の日がもう少し距離を伸ばして10.5キロと南山手の「どんどん坂」まで登って行った。全部で37キロも歩いたことになる。長崎ではぶらぶら散歩することを「さるく」という、まさに「長崎さるく」の3日間だった。そして、一抹の不安通りに帰りの飛行機は遅れた。翌朝自宅前の公園を走ってみれば、台風一過の朝焼け、冷えた空気と共に季節も変わりだした。ふり切れそうな夏、心の中は秋に向かう準備を整えだそうとしている。(文中敬称略)
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